2009年10月23日金曜日

人間の食べ物 ~四食(しじき)~

食欲の秋ですが、
仏教では人間の食べ物として四食(しじき)があると言います。
これは普通の食べ物よりも広い考え方です。

1.段食(だんじき)

私たちがいつも食べている食べ物のことです。
これは目に見える食べ物ですが、人間これだけでは生きてはいけません。


2.触食(そくじき)

例えばスキンシップのように身体で触れることで心身の働きを養うもの。
そばにいてくれる、気にかけてくれるという安心感は心の栄養となります。


3.思食(しじき)

希望や夢があるから困難な状況でも耐えることができるのです。
これらは人間を生かす食べ物です。

4.識食(しきじき)


生きようとする意識・力が、生きていることを支えています。


我々は段食だけで生きている訳ではありません。
目には見えない食べ物のこととも忘れてはならないのです。

2009年10月22日木曜日

人間とは?

人間の姿を現しているたとえ話があります。

旅人が荒野を歩いていると、
突然木陰から狂った象が現れ旅人めがけて襲ってきました。
必死で逃げましたが象はまだ追ってきます。
逃げていると古井戸が見えてきました。
旅人は古井戸に垂れ下っている一本の細いツルにぶら下がり、
底へ向かって降りていきました。
やれやれと安心したものの井戸の底を見ると毒をもった龍が
大きな口を開けて旅人を狙っていたり、また井戸の四隅には
四匹の毒蛇がいて襲いかかろうとしていました。
あわてて上に昇り、一本のツルに懸命にしがみついていました。

しばらくすると「カリカリ」という音が上の方から聞こえてきました。
見上げてみると黒と白の二匹のネズミがツルの根をかじっていました。
あわててツルを揺さぶりました。
ツルの根元には蜂の巣があり揺さぶったことにより、
たまたまそこから蜂の密が五滴こぼれ落ち、旅人の口の中に入りました。
なんとも言えない甘さでうっとりしました。
目の前に迫っている恐怖を忘れ、さらに蜜を求めようとツルを揺さぶりました。

     「譬喩経  黒白二鼠(こくびゃくにそ)の喩(たと)え」


旅人とは我々のことで、荒野とは人生の荒波を指す。
狂った象は避けることのできない自然の力を表し、
井戸の中は安心できる場所のこと。
ツルは生命・寿命。そして寿命をかじっている白と黒のネズミは昼と夜のこと。
四匹の蛇は肉体の病苦を表す。
龍とは死の影のことで、最後の甘い五滴の蜜は
五欲(食欲、色欲、睡眠欲名誉欲、財欲)という目の前の官能的な欲望を表す。


生きているとは毎日死に近づいているということです。
そして死がいつ訪れるのかは誰にもわかりません。
つまりいつも我々は絶対絶命の状態なのです。
このような時に、我々は甘い欲に溺れてしまい心を奪われているのです。
これが人間の姿なのだとお釈迦様は言っております。

2009年10月19日月曜日

断念の術さえ心得れば・・・

「断念の術さえ心得れば、人生は結構楽しいものだ」

これは精神分析で有名なフロイトの晩年の言葉。

彼は60代でガンにかかり33回もの手術を受けた。
16年間病と闘いながらも診察を続けるために痛み止めを打たずに仕事を続けていった。
痛み止めを打つと、ちゃんと患者さんを診れないからだ。

まさにプロですね。

断念するとは、あきらめること、受け入れること。
これができればよいのだがなかなか難しい。

しかし、断念できない、あきらめれない、受け入れることができない自分をも「しょうがないな~」と断念できると少しは人生楽しくなるのかもしれない。

2009年10月17日土曜日

十三仏と日本人の死後の世界観

<インドにおける輪廻思想>
死後生まれ変わるという考え方。
これが仏教に取り入れられ
死後七日目毎に来世へ生まれ変わるように考えられました。
死後七日目に生まれ変わらない場合は、次の七日目に。
それでも生まれ変わらない場合は、さらに次の七日目にと繰り返されます。
四十九日目までには必ず生まれ変わります。

この四十九日までの期間を中陰(ちゅういん)と言います。

<中国における十王信仰>

仏教が中国に伝わると道教の影響を受け
死後、十人の裁判官より裁きを受けるようになりました。

初七日(死後 7日目) 泰広王 
二七日(死後14日目) 初江王  
三七日(死後21日目) 宋帝王  
四七日(死後28日目) 五官王  
五七日(死後35日目) 閻魔王 
六七日(死後42日目) 変成王  
七七日(死後49日目) 泰山王 
百箇日(死後100日目)平等王 
一周忌(死後1年目)  都市王 
三周忌(死後2年目)  五道転輪王  

<日本における十三仏信仰>

中国の十王信仰の影響を受けて、鎌倉時代に日本独自の十王信仰ができあがりました。
日本では、浄土の世界へ導いてくれる十人の弁護士が各裁判で付くようになりました。
十人の弁護士とは仏様の事です。

さらに七回忌・十三回忌、三十三回忌と裁判も増え、三人の弁護士も追加され、合計十三人の弁護士となりました。

つまり、一人前の仏になる為に十三人の仏様(十三仏)が弁護士となり導いて下さるのです。

( )が仏の世界へ導いてくれる弁護士です。
初七日 泰広王 (不動明王) 
二七日 初江王 (釈迦如来) 
三七日 宋帝王 (文殊菩薩) 
四七日 五官王 (普賢菩薩) 
五七日 閻魔王 (地蔵菩薩) 
六七日 変成王 (弥勒菩薩) 
七七日 泰山王 (薬師如来) 
百箇日 平等王 (観音菩薩) 
一周忌 都市王 (勢至菩薩)
三回忌 五道転輪王 (阿弥陀如来) 
七回忌 蓮華王 (阿しゅく如来)
十三回忌 慈恩王 (大日如来)
三十三回忌 祇園王(虚空蔵菩薩)


<日本人の死後の世界観>
日本では神道、仏教、儒教などをミックスした独特の死後の世界があり、
それが生活と結びついています。

死後肉体は処理されても霊魂は残ると考えられていました。
そしてその霊魂は不安定で荒れています。
また死後の霊は死霊と呼ばれていて、それを子孫が供養することにより神(祖霊)へと育てていきます。祖霊へと育てていくと、霊魂も安定してきます。
祖霊となるのが神道では三十三年ないしは五十年かかるとされています。
仏教はこの考え方を取り入れて三十三回忌を作ったのです。
因みに祖霊はさらに育つと氏神になります。

このように魂を鎮める考え方も仏教にも取り入れられて、年回の法事が行事となっていきました。

2009年10月9日金曜日

春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪冴えてすずしかりけり

これは道元禅師が作った和歌で、禅の境地を表しています。

当たり前じゃんと思われるかもしれませんが、
当たり前のことをあるがままに受け入れられることが大切だと思います。

今の自分自身そのままを受け入れていく。
あるがままの自分を受け入れていく。

それができたときに、心にとらわれがなくなり
 「すずしかりけり」と言葉が発せられたのでしょう。

季節で表していますが、季節を心の状態に置き換えることもできます。
どんな心の状態でも、それらを正しく見つめ、味わっていきましょう。

2009年10月7日水曜日

死後49日目~2年目

中陰は終わったのですが、実はまだ追加の裁判があります。

死後100日目・・・百箇日(ひゃっかにち)

 裁判官  平等王(観音菩薩)  

死後1年目・・・一周忌

 裁判官  都市王(勢至菩薩)

死後2年目・・・三回忌 (死んだ年を一年目と数えます)
 
 裁判官  五道転輪王(阿弥陀如来) 


これは、地獄・餓鬼・畜生の世界に行った人を救ったり
その他の世界に行っている人には徳が積まれるようになっています。

死んでから七日毎にお坊さんが来て遺族と供養するのは、
遺族がこの世で善い行いを積むことで、
裁判に手心を加えてもらう事からきています。

また仮に地獄に行ったとしても、
『百箇日』『一周忌』『三周忌』に遺族が手厚く供養を営めば
恩赦を受けられるということなのです。

裁判官とは言え、みなさん仏様が姿を変えられただけであり、
実はとても慈悲深いのです。


これまで登場した裁判官は10人(十王)となります。
    
初七日 泰広王 (不動明王) 
二七日 初江王 (釈迦如来) 
三七日 宋帝王 (文殊菩薩) 
四七日 五官王 (普賢菩薩) 
五七日 閻魔王 (地蔵菩薩) 
六七日 変成王 (弥勒菩薩) 
七七日 泰山王 (薬師如来) 
百箇日 平等王 (観音菩薩) 
一周忌 都市王 (勢至菩薩)
三周忌 五道転輪王 (阿弥陀如来) 


インド古来の輪廻(生まれ変わる)思想が仏教に影響を与え
そして中国に渡ると道教と融合して、これまで説明した十王の信仰が
できあがりました。
日本にもこの十王の信仰が入り、日本独自の十王の信仰が生まれました。

さらに江戸時代になると十王の信仰をもとに
今度は十三の仏様の信仰(十三仏信仰)が生まれました。

十王信仰では十人の裁判官(本来のお姿は十人の仏様)がおりました。
十三仏信仰ではそれに三人の裁判官(仏様)が加わります。

死後六年目      七回忌  蓮華王  阿閃如来(あしゅくにょらい)
死後十二年目    十三回忌  慈恩王  大日如来
死後三十二年目  三十三回忌  祇園王  虚空菩薩



死者が一人前の仏様になるために十三人の仏様が先生となって
ご指導してくれると考えればわかりやすいかもしれません。

次回十三仏信仰について説明します。

2009年10月4日日曜日

死後四十二日目(六七日)~死後四十九日目(七七日)

あなたの知らない死後の世界①
あなたの知らない死後の世界② ~初七日~

あなたの知らない死後の世界③~三途の川~
あなたの知らない死後の世界④ ~二七日~
あなたの知らない死後の世界⑤~死後21日~35日まで~
あなたの知らない死後の世界⑥~死後35日目~


閻魔大王より猶予を与えられ、今度は死後四十二日目を迎え
冥土の旅もいよいよ終わりに近づいてきました。

今回は第6回目の裁判となります。

裁判官は変成王(へんじょうおう)
四七日と五七日目の裁判官の報告を受けながら、審判していきます。

しかしここでも判決は下されずに

死後四十九日目(七七日)の裁判官に委ねられます。
ここでの裁判官は秦山王(たいせんおう)

泰山王は死者に対して六つの門を指して
「あちらは六つの世界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の入り口です。
 どの門を選ぶかはあなたの自由です。
 選んだところが、あなたの来世となります」

門はどこに通じているのかもわからないまま、死者は結局自分で自分の行き先を
選ばなくてはいけないということです。
「自らしてきたことは、後に自らに降りかかる」という仏教の基本的な考えがあります。
生前にどんな行いをしてきたか、そして生前の行いには必ずその報いがくる。
そして、そこからは誰も逃れることができない。
自分で選んだ門とその行き先は、自業自得なのです。

これで中陰の旅が終わります。
中陰が満了するので、四十九日の事を満中陰(まんちゅういん)とも言います。