2008年9月29日月曜日

般若湯

僧侶の世界ではお酒のことを般若湯(はんにゃとう)と呼びます。
別にお酒を飲みすぎると般若のような顔になるという訳ではありません。

インドでは古くからお酒を飲むことは戒められていました。
しかしながら仏教が中国、日本と伝わるにつれて、お酒は人を狂わす水でもあるが、智恵の水にもなると都合のよいように決め付けたのです。

般若とは智恵のことです。つまり般若湯とは智恵が湧き出るお湯なのです。
昔の僧侶は上手に智恵を絞りましたね~。

段々と寒くなってきました。
とりあえず泡の般若からはじめて(笑)
そして般若湯を飲んであたたまりましょう。

2008年9月27日土曜日

子安弘法大師




西方寺は真言宗ではありませんが、不動明王や子安弘法大師(上の写真)も祀られています。上の写真は子安(こやす)弘法大師です。子どもを抱いていてとても優しいお顔です。お檀家さまからは子安さんの名で親しまれています。
安産、子授け、子どもの成長などのご利益があるとして各地で信仰されています。


子安(弘法)大師とは?
お寺の前で妊婦が難産で苦しんでいました。弘法大師は妊婦が楽になるよう仏様に祈られました。そうすると妊婦は楽になり立派な男の子を産んだと言われています。こうしてお大師さまは子安(弘法)大師と呼ばれるようになりました。

2008年9月23日火曜日

「融通」

これは、元々「融通無碍(ゆうずうむげ)」という言葉からきています。
意味は、この世に存在するもの全ては、それ自身のみで成り立っているのではなく、それぞれが、一切妨げるものなく融け合い通じ合って成り立っていると言う事を表しています。

浄土教の一派に「融通念仏宗」というのがあります。
その教えは、一人の念仏が万人の念仏と融通し合う事によって、一人の極楽往生を願う気持ちというものは、実は万人の為の極楽往生を願う気持ちへと融け合い通じ、また、その事によって一人は万人から極楽往生を実は願われてるいるんだという事を説いています。

現代では「お金を融通してもらう」というような使われ方が多いのではないでしょうか。
確かに、生きてく上でお金は大切かも知れません。が、もっと大切なものを実は融通し合って生きている、生かされてるという事をしっかり認識していかなければならないと思います。

(スタッフ H・K)

2008年9月21日日曜日

一字三礼・一刀三礼

礼は「れい」ではなく、「らい」と呼びます。
いちじさんらい、いっとうさんらい。

これは仏教の言葉で、写経をする際、一字書くごとに三度の礼を、仏像を彫るときも、一刀刻むごとに三度の礼をする姿勢のことです。

これを実際行うと大変な時間がかかりますが、大切なことは「させていただく」という感謝の気持ちを持つということです。
写経をするのではなく、写経させていだだく。何も写経や仏像を彫るときだけにかぎりません。例えば、仕事をさせていただく、修行をさせていただくということなのです。そして自分はさせていただくことによって生かされているんだということを日々忘れないようにしたいものです。

2008年9月18日木曜日

供養の意味



もうすぐお彼岸ですね。お墓参りをしてご先祖様を供養されると思います。お花をお供えしたり、お線香を焚いたりすると思いますが、ただ何気なくしている行為にもちゃんと意味があります。

●お線香
インドでは古くから体臭を消すために樹皮などからとった香料を焚いたり身体に塗ったりしていました。これらが仏教にも取り入れられたようです。我々は煩悩を沢山もった身です。お線香を焚くことにより心を清らかにしていくのです。

●お花
仏様の特徴は「慈悲」の心があるということです。
「慈悲」というのは簡単に説明しますと、苦しみを取り去って楽しみを与えてくれる(抜苦与楽)という意味になります。
花はまさに慈悲の象徴となります。なぜなら、嬉しいことがあったり、悲しいことがあったりする時には、お花はいっしょに喜んだり悲しんだりしてくれるように見えるからです。花というのは、「分かちあう喜びを二倍にして、分かち合う悲しみを半分にする」存在なのです。
なぜ美しい側を人間に向けるのでしょうか?それは仏様の「慈悲」が人間に向けられていることを表しているからです。だから仏様を敬うことも大切ですが、それ以上に仏様の慈悲も感じ取ってみてください。

●灯明
 仏様の特徴のもう一つは、「智恵」が備わっているということです。
「智恵」を簡単に説明するとものごとに明るく、何でも知っているということです。
灯明は仏様の智恵の象徴なのです。仏様の智恵の光が無智なる我々を照らしてくださっているのです。


花をお供えしてもいつしか枯れていきます。灯明もいつしか火は消えていきます。
つまり「無常」といことを表してもいるのです。

2008年9月17日水曜日

彼岸花




秋のお彼岸頃に咲くから彼岸花と言われているようです。
別名は、マンジュシャゲ(曼珠沙華)。

彼岸花は、花があるときには葉がなく、葉があるときには花がないことから「ハミズハナミズ(葉見ず、花見ず)」とも呼ばれたり、お隣の韓国では、サンチョ(相思華)と呼ばれています。花が葉を思い、葉が花を思うという意味のようです。想い思われる華なのです。

花言葉:「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」

2008年9月14日日曜日

生命のメッセージ展

「生命のメッセージ展 in 出雲」がビッグハート出雲で開催されていました。



「生命のメッセージ展」とは、犯罪、事故、いじめ、医療過誤、一気飲ませなどの結果、理不尽に生命を奪われた犠牲者主役のアート展です。
会場には犠牲者の等身大の人型パネルがあり、パネルには元気なころの写真と遺された家族のメッセージ、そして足元には靴が置かれていました。

「生命」(いのち)は大切と言葉でいうのは簡単ですが、実際に行ってみて「生命」というものを再度考えてみるよい機会となりました。
家族の言葉などのメッセージや靴から「生命の重さ」というものを肌で感じとることができたような気がします。また「生命」は自分のものではない、親から代々受け継いで頂いたもの、みんなの「生命」なのだということを強く感じました。

最近の世の中は「生命の重さ」があまり感じられていない世の中のような気がします。2001年に東京で開催されてから40回以上全国各地で開催されているようですが、もっともっと全国に広がっていき、少しでも多くの方々にメッセージ展の主旨でもある「生命の重さ」が伝わったり、忘れかけていた「生命の重さ」を想ったり、生命を慈しむことができたらよいなと思います。

2008年9月10日水曜日

人間の最大の武器

ゴールデンスランバー/伊坂幸太郎著 


●2008年本屋大賞受賞(全国書店員が選んだいちばん売りたい本)
●山本周五郎賞
●直木賞は候補にあがっていたが辞退
 (理由:直木賞の影響力の大きさを考え、穏やかに執筆したいとの思いからである)


主人公が首相暗殺事件の犯人に仕立て上げられ、とにかく逃げる・逃げる・逃げる。結末はハッピーエンドではない。
500ページにも及ぶ長編作であるが、いったん伊坂ワールドに浸ってしまえば、「そんなの関係ない、そんなの関係ない」。スピード感あり、巧妙な伏線あり、期待を裏切るストーリーなど帯にも書かれていたが「伊坂的娯楽小説突抜頂点」でした。

本の中では様々な人と出会えるが、今回特に面白かったのはロック好きな花屋の岩崎さん。嬉しい出来事があると「ロックだな」と喜んだり、嫌なことを押し付けられると「それはロックじゃねぇだろう」と怒ったりしていた。基準がよくわからないが(笑)
主人公に「青柳、お前はロックだよ」という台詞はかっこよかった場面である。

世間では「伊坂節」と言われているようですが、とても心に残るセリフも多い。
 「人間の最大の武器は習慣と信頼だ」
習慣と信頼という日常何気なく使われる言葉がこの作品の中で輝いてくる。

主人公の父親のマスコミに向けた言葉です。
「名乗らない、正義の味方のおまえたち、本当に雅春が犯人だと信じているのなら、賭けてみろ。金じゃねえぞ、何か自分の人生にとって大事なものを賭けろ。おまえたちは今、それだけのことをやっているんだ。俺たちの人生を、勢いだけで潰す気だ。いいか、これがお前達の仕事だということは認める。仕事というのはそういうものだ。ただな、自分の仕事が他人の人生を台無しにするかもしれねえんだったら、覚悟はいるんだよ。バスの運転手も、ビルの設計士も、料理人もな、みんな最善の注意を払ってやってんだよ。なぜなら、他人の人生を背負っているからだ。覚悟を持てよ」

読み返してみると新たな発見もあり本当に楽しめた本でした。
絶対お薦めです。因みに島の図書館では貸し出し中でした。
購入しても損はしない本だと思います。

2008年9月6日土曜日

人間の弱さ 「渇愛」



忘己利他(もうこりた)
   「己を忘れて他を利するは慈悲の極み也」

キリスト教では「愛」とうい言葉を重視します。しかし仏教では「愛」はよいものとしてとらえていません。「渇愛」(かつあい)という言葉があるように、これは人間が苦悩する源ととらえています。よって「愛」という言葉より「慈悲」ということばを用います。

渇愛とは渇く愛のこと。のどがかわくと水が欲しくなります。おいしそうな食べ物があったら食べたくなります。そしてもっと、もっとというようになっていきます。人間というのはこのように際限なく欲しがっていく生き物です。だから渇愛というのは、もっと、もっとと求める愛のことなのです。こんなに愛しているのに、もっとこっちを見て欲しい、自分が愛しているのと同じくらい愛情を注いで欲しいと思ってしまいます。何も恋愛に限らすに、親子、仕事、友人などの人間関係などでも言えることです。

結局は自分を好きになってもらいたいから他の人を愛するということなのです。己を忘れて他を利するとは正反対の、これが「渇愛」の正体です。

我々は自分がしたことばかり覚えていて、相手からされたことを忘れてしまいがちです。思い出したとしても、今度はもっと、もっとと欲してしまいます。

お釈迦様やお弟子さんたちもこの渇愛に悩まされていたと言われ、そして渇愛からは逃れることはできないと言っていました。しかし求める気持ちをしずめたり、おだやかにするように努力することはできると考えました。

大切なことは、もっと、もっとと求めている自分自身に気づくことだと私は思っています。
気づけばそれに溺れすぎることはありません。少し余裕もでてきます。
そして相手にしてあげるという気持ちを捨て、常に「させていただく」という感謝の気持ちをもつということです。

日々修行。慈悲の心に近づくためにも、忘己利他を懲りずにつづけていきましょう。



参考文献
 集英インターナショナル 「痛快!寂聴仏教塾」 瀬戸内寂聴著

2008年9月4日木曜日

これからは「瞑想」も行います

プチ修行をこれまで行ってきましたが、参加者やこのプロジェクトを応援してくださっている方から瞑想をやってみたらという声が多かったので取り入れることにしました。

早速、先日訪れたお客様には瞑想を取り入れて行ってみました。
やはり瞑想には興味をもっていたお客様でした。

瞑想にはいろなやり方がありコツもあります。どのやり方でも言えることですが、一生懸命しようとしないことです。リラックスして遊び感覚のような気持ちで行うことが大切です。そして毎日継続して行うことです。また途中、色々な雑念が出てくることもありますが、無理をして取り除こうとしないでください、迷走してしまいますので(笑)そのままにしておくことです。むしろ雑念を歓迎するかのような気持ちがよいと思います。

お釈迦様が菩提樹の下で行っていたと言われる瞑想は「数息観」です。
方法ですが、ちょっと薄暗い部屋で椅子や座布団に座ってもよいですし、座禅のように足を組んでもかまいません。背筋はなるべく伸ばしてください。目は半眼にします。そして呼吸にだけ注意を向けて息を数えるだけです。数えるのは、吸う息でも吐く息でもどちらでもよいです。1から10まで数えたら、また1からに戻ります。これを繰り返しておこなっていきます。数を忘れた場合はまた1から始めていけばよいです。
繰り返しになりますが、リラックスして遊び感覚で行うことです。効果などすぐに求めないことです。

2008年9月3日水曜日

堪忍土(かんにんど)

仏教ではこの世を「娑婆」(しゃば)世界といいます。
「娑婆」という言葉は「忍耐」を意味するサンスクリット語サハーの音写です。意味の上では忍土、堪忍土と訳されました。つまり、この世界は苦しみの多いところで、じっと耐え忍ぶ場所であると仏教では考えます。親鸞上人はこの世を「生死の苦海」とも言っています。

この世の中はじっと堪え忍んで生きる世界でもあります。
堪忍のできないリーダーがここ数年日本をひっぱっていたような気がするのは私だけではないでしょう。

2008年9月2日火曜日

仏教用語 「油断」

「油断」とは気を許して注意を怠る事ですね。
大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)というお経には、このように書いてあります。

ある主人が、自分の臣下に、油がいっぱい入った鉢を持たせ、沢山の人がいる中を歩かせたそうです。その後ろに、刀を持った兵士を付かせ
「もし、一滴でもこぼしたのなら、己れの命を断つぞ」と脅しながら歩かせたそうです。
その油の鉢を持った臣下は、しっかり鉢を持って、なんとか無事言われる所まで歩き切ったそうです。この故事から「油断」と言う言葉が出来たそうです。

「油断大敵」「油断は怪我の基」とにかく、みなさん油断には気を付けましょう。

(副委員長 H・K)