2008年10月29日水曜日

「天知る、地知る、人知る」

当時、学校で物が紛失することが多く問題になっていました。
その時に校長先生が全校の前で話された言葉で、今でもよく覚えています。

「天知る、地知る、人知る」

必ず我々の行いは誰かがみているものです。
偉大な何かによって全てをお見通しなのです。
良いことから悪いことまで。

今の世の中、この意識がとっても薄れてきているように思います。

似た言葉で

お天道様に申し訳ない、お天道様が見てる
お天道様に言い訳できない、お天道様に顔向けできない 

「畏れ」を忘れてしまっている世の中。
早く取り戻さなくてはいけません。

どんなに豊かになろうが「畏れ」のない世の中ほどおそろしいものはありません。
景気回復も大切なのかもしれませんが、
「畏れ」回復にも取り組んでいかなければなりません。

目には見えない世界も大切にしたいものです。

2008年10月28日火曜日

高橋尚子引退

「申し訳ございませんでした。」
ニュースを見るといつも頭を下げている記者会見ばかりが目立つ。

しかし今日はさわやかな記者会見があった。
マラソン選手高橋尚子の引退会見。自分の限界を感じ引退を決意したようである。

引退後もあの笑顔で皆に元気と勇気を与えて欲しい。

2008年10月22日水曜日

布施は「喜捨」

お布施は「喜捨」とも言います。
つまりお布施とは、喜んで捨てるということです。
賽銭の行為も「喜捨」となります。
何の見返りを求めずにただ与えるだけの行為なのです。

修行の一つに托鉢があります。駅前などで笠をかぶったお坊さんが手に鉢をもってお布施を頂いたり、あるいは家々を回ってお布施を頂くという行為のことです。

托鉢について次のような話があります。

お釈迦様は托鉢に行くお弟子さんたちに向かって次のように言いました。

「これから托鉢に行くのだが、貧しい人たちの家を回って托鉢をするように。決してお金持ちの家には回ってはなりません。」

お弟子さんたちは驚き、
「なぜお金持ちの家にまわってはならないのですか?」
「お金持ちの家から喜捨を頂くのではないのですか?」と聞きました。

するとお釈迦様は
「貧しい人たちは自分が貧しいと思っているから他人に施しをしてこなかったのです。そうすると貧しさから抜け出すことができないのです。私たちお坊さんが喜捨を頂きに行くのは、貧しい人たちを貧しさから救ってあげるためなんですよ。だから貧しい人の家を回るのです。」

金額は問題ではありません。
自分のためだけにお金を使うのではなく、喜捨という行為、他人に喜びを与えられるようになる、他人のためにお金を役立てることが、貧しさから抜け出る方法だということを教えているのですね。


ブログ右上にはお賽銭箱があります。
カーソルをお賽銭の所にもっていき、マウスの左を押すとお布施をすることができます。
カーソルをお賽銭以外の所にもっていくと人の手がでてきてお金を盗む事もできます。
最後は参拝終了へカーソルを移動しマウスの左を押してください。
お気持ちのある方はお布施をどうぞ。喜んで捨てていってください。

2008年10月19日日曜日

朝起きたらすることがある

「葉っぱビジネス」で過疎の町を高齢者といっしょに甦らせた社長が話ていた言葉がある。

朝起きたらすることがある、しなければいけないことがある。何もすることがないのは恐ろしいこと。


葉っぱビジネスについて、「そうだ、葉っぱを売ろう!」という本がでているが、その帯には村上龍のコメントが次のように書かれている。

 重要なのは「町興し」「村興し」ではなく、
 その土地に生きる一人一人が目標と生きがいを持てるかどうかだと、
 見事に証明して見せた。


首相が任期途中で仕事を投げ出す時代。
しかし、この社長は最後まであきらめずに高齢者に生きがいを見出した。
そして高齢者は、朝から役割をもってエネルギッシュに動いている。

これは葉っぱで元気な町の話。

今度はヘビーメタルで元気な村がある。
これは映画にまでなっている。

そこはドイツ南部の村、ドンツドルフ。主な産業の1つはヘビーメタル。

自宅で趣味として現在のGMがレーベル(音楽ソフトを制作・発売する会社)を立ち上げたが、それが今では世界でも最大規模のヘビーメタル専門のレーベルに成長。
ロスやブラジルにも支社をもつまでに。

村の主婦たちは朝からすることがあるのだ。
会社にいき通販部でヘビーメタルのグッズを世界中へ配送する作業。

ヘビーメタルが生活に根ざしているという。
田舎とヘビーメタルが共存してしている町である。

こんなに大きくなったら会社はもっと便利な場所へ移転すると思うが、このGMは村に残している。なぜなのかとても興味がある。
観てみたい映画である。


映画「HEAVY METAL IN THE COUNTRY」

 公式サイト  http://www.amuse-s-e.co.jp/metalmura/

お十夜

10月から11月は浄土宗や天台宗のお寺ではお十夜法要が行われます。
西方寺では、10月18日(土)に行われました。

お十夜とは?

無量寿経というお経の一説に「十日十夜、善い行いをすれば仏の国で千年善い行いをするよりも尊い」と書かれています。善行というのは、お寺でお念仏を唱えることです。お寺でお念仏をお唱えして功徳を積む法要なのです。

昔は、旧暦の10月6日~10月15日に渡って十日十夜行われる法要でした。
いつの頃からか短縮され、現在では各地で1日から3日位で行われています。

仏の国で千年行う善行よりも勝れているのですから、とても有り難い法要なのです。

鎌倉の光明寺、鴻巣の勝願寺、八王子の大善寺は関東三大十夜と呼ばれ大勢の人で賑わいます。

2008年10月13日月曜日

もうはまだなり まだはもうなり

アメリカ発で世界の株価が大暴落。今日はヨーロッパの株価が反発してきている。明日のニューヨークや日本の株価は一体どうなるのでしょうか?

株で思い出すのがこの言葉。
「もうはまだなり、まだはもうなり」
昔、城山三郎の小説を読みあさっているときに出会った言葉である。

もう底だと思えるようなときは、まだ底があるかもしれないと思ってみること。
まだ下がるのではと思えるようなときは、もう底かもしれない考えてみること。

株価はもう底かもしれない。いやまだ底があるかもしれない。
何事もすべからく選択である。

2008年10月8日水曜日

『高眼手低』

ノーベル物理学賞に日本から3人選ばれた。その一人の益川教授がインタビューで語った言葉。それが「高眼手低」。

本来の意味は、多くの知識や発言することは立派だが、実際自分が手を動かしてすることはできない人のことを指す。

益川教授はそれを、「自分の理想や目標などは高くもって、実際に手をつけるのは低く着実なところから」と解釈していた。

理想や夢を追い求めていくことはよい。しかし取り組むときは低いところから地道に手をつけていかなくてはならない。注目を浴びないところでもしっかりと着実に取り組んでいかなければこのような賞はとれなかったであろう。

どの世界にも通じる言葉ですね。

2008年10月4日土曜日

『告白』/町田康



人はなぜ人を殺すのか。
河内音頭のスタンダードナンバー<河内十人斬り>をモチーフに、町田康が永遠のテーマに迫る渾身の長編小説。
(帯より)


本との出会い

ダヴィンチで紹介されていたので購入。
読もう読もうと思っていたが、とても分厚い本。約700ページもの長編作。
購入した本をすぐ読む必要もなく、本棚へ直行。読みたくなったら読もうと決めていた。背表紙を眺めてどんな本かな~と想像するのも楽しいもの。結局1年近く本棚にあったが、先日ついに手に取ることに。背表紙が「読んでくれ~」と訴えてきたからだ。直感を大切にしたいので、ちょうど私には読む時期が来たと思い読み始めてみた。

感想

思ったことをすぐ口に出していえる人。そうできない人。
主人公の熊太郎は後者のタイプ。そしてとても繊細で何事も考えすぎてしまう。しかも虚栄心が強く見栄っ張りな為、余計に物事が悪い方向へとながれていく。
人を殺してしまう主人公。でも不器用さが憎めない。考えすぎて悪循環に陥ってしまうが、その過程が鋭く描かれており、読みごたえのある作品であった。
主人公と関わりのあった人たちがもっと彼を理解してあげられればと悔やんでしまった。

作者は面白いことにロックミュージシャン(パンク歌手)でもあり、俳優でもあり、詩人、小説家でもある。2000年には「きれぎれ」で芥川賞を受賞している。

読書の秋にはもってこいの長編作。是非一読を。

2008年10月3日金曜日

噛みしめたい言葉

教育テレビで僧侶がインタビューを受けており印象的だった言葉。

関わらないという関わり方。

自然に対して、相手に対しても言える言葉。

ゆっくり噛みしめて考えてみたい言葉である。