2009年1月31日土曜日

七慢(しちまん)

思い上がりのことを「慢心」と言いますが、その心理状態を仏教では七つに分け「七慢」と言います。

七慢(しちまん)

1.慢(まん)


自分よりも劣っている人に対して自分は優れているんだと優越感を抱き
自分と同等の人に対しては同等であると心を高ぶらせること

2.過慢(かまん)

自分と同等の人に対して自分の方が優れていると思い高ぶり
自分より優れている人に対しては自分と同じであると侮ること

3.慢過慢(まんかまん)


他人が優れているのに、自分の方が優れていると自惚れ、相手を見下すこと

4.我慢(がまん)

我が我がと自分に執着しておごり高ぶること、てんぐになること

5.増上慢(ぞうじょうまん)

悟ってもいないのに、悟ったと思うこと

6.卑慢(ひまん)

はるかに優れている人と比べて、自分は少ししか劣っていないと思うこと

7.邪慢(じゃまん)

徳がないのに徳があるようにみせること


「我慢」とは、元々は仏教用語で、自分に執着することからおこる慢心を意味していました。
それが「我を張る」などという意味に変わっていき、しだいに「耐え忍ぶ」「辛抱強い」を意味するようになりました。

2009年1月30日金曜日

仏前結婚式

ここ数年、芸能人が神社で結婚式をあげている為か、神前結婚式が注目されているようです。
しかし結婚式は教会や神前だけではありません。
お寺や自宅の仏壇前であげる「仏前結婚式」もあります。

教会の場合は二人の結婚を誓いますが、仏前では二人の結婚をご先祖様に報告するという形で行われます。ご先祖様の命の繋がりがあってこそ二人があり、そしてめぐり合い結ばれた「深い因縁」を仏様に感謝していくことが特徴です。

仏前では数珠の交換も行います。もちろん指輪の交換もあります。

仏前結婚式はあまり知られていないのが現状です。
もっと広まっていくと嬉しいです。

2009年1月28日水曜日

「隠岐の海」 十両昇進

嬉しいニュースです。
隠岐の島町出身の力士、幕下筆頭「福岡」の十両昇進がきまりました。

しこ名は「福岡」から「隠岐の海」に改名。

隠岐出身で関取になった力士は51年前にもいたようです。しこ名は「隠岐ノ島」。


相撲の階級について
上から
<幕内>
  横綱
  大関
  関脇
  小結
  前頭1枚目~15枚目
  十両
<幕下>
<三段目>
<序二段>
<序の口>


十両以上の力士は「関取」と呼ばれます。
関取になると、大銀杏(おおいちょう)と呼ばれる髷(まげ)を結うことができます。
また、服装も紋付、羽織、袴の着用もでき、さらには「給料」が支給されます。
他には幕下以下の力士が「付き人」として付くようになったりと、十両以上の関取と幕下の力士では全く扱いが違ってきます。

三段目で「竹谷」という隠岐の島町出身の力士も頑張っています。

2009年1月26日月曜日

からっぽ


からっぽ 坂村真民

頭を
からっぽにする
胃を
からっぽにする
心を
からっぽにする
そうすると
はいってくる
すべてのものが
新鮮で
生き生きしている



空っぽになれ 坂村真民


空(から)っぽになれ
空っぽになれ
空っぽになると
風も自由に
吹き抜けてゆく
諸仏諸菩薩も
自由に通ってゆかれる
いろいろの
いきとしいけるものが
自由にゆききする
そしてその時
わたしの詩が生まれる

空っぽになれ
空っぽになれ
タンポポの茎のように
空っぽになれ
風よ
リンリンと
よいひびきを立ててゆけ
ピカピカと光りながら
吹き抜けてゆけ



心や頭を空っぽにしてますか?
今にもこぼれそうになっていませんか?
時々、空っぽにすることを大切にしていきましょう。
そうすればきっと様々なものを受け入れることができるでしょう。

2009年1月24日土曜日

「図」と「地」



佐川急便のコマーシャルにも登場していますが、上の図は何に見えますか?
黒い部分に目をやると、盃や花瓶などに見え、白い部分に焦点を当てると人が向き合っている顔にみえます。
見えた方は「前景(図)」となり、見えなかった部分は「背景(地)」となるのです。いっぺんに両方をみることはできません。

健康な心は自由に図が地となり地が図となって流れている状態です。

いつも一緒にいる人に対しては図と地が固定されやすいですね。
時には相手の「地」の方にも焦点を当て、「図」にしていきましょう。


下の絵は何に見えますか?

(動物もみえましたか?)

2009年1月23日金曜日

お金のかからないお布施とは?

お布施とは「喜捨」とも言い喜んで捨てるということです。
何もお金を与えることだけが布施というのではなく、一銭のお金もかからない布施もあるのです。それは「無財の七施」と言われています。

1.眼施(がんせ)    
   優しい目で接する

2.和顔施(わがんせ)
   笑顔で接する

3.言辞施(ごんじせ)
   思いやりをもった優しい・丁寧な言葉を使う

4.身施(しんせ) 
   自分の身体を使って奉仕する

5.心施(しんせ)   
   思いやりの心をもって接する

6.床座施(しょうざせ)
   他人に席を譲る

7.房舎施(ぼうしゃせ)
   自宅に迎えておもてなしをする


心さえあれば誰でも布施はできるとお釈迦様は説いております。

2009年1月19日月曜日

葬式妨害

先日都内の葬祭場で、知人の葬儀に乱入して棺を倒したり遺品を散乱した男性が葬式妨害容疑で逮捕された。
刑法では、説教、礼拝または葬式を妨害した者を葬式妨害罪として処罰すると規定している。

刑法第二十四章
礼拝所及び墳墓に関する罪 (礼拝所不敬及び説教等妨害)
        
第百八十八条 神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
2 説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。


このような法律があったとは知りませんでした。

2009年1月18日日曜日

観音菩薩




とても広く人々に親しまれている観音様。観世音菩薩や観自在菩薩とも言います。
観音とは「(世の中の)音を観る」と書き、苦しんでいるとき、悩んでいるときに観音様の名を称えると、その音を聞き、すぐに人々を苦しみから救う菩薩とされています。

菩薩とは悟りを求める人のことです。
因みにダライ・ラマ法王は観音菩薩の化身とされています。

2009年1月14日水曜日

行火(あんか)

皆さんよくご存知の電気アンカの「行火(あんか)」です。
アンカという字を漢字で書くと、こういう字になるんですね。難読です。
ちなみに「行」を「あん」と読む熟語は他には「行灯(あんどん)」「行脚(あんぎゃ)」等があります。
この「行火」、元々は禅僧が使ってた、木や土でできた枠の中に炭火など入れて手足を温めた道具のことをいいます。
「行」という字には、持ち運ぶという意味があります。
ですから、現在使われてる持ち運び出来ない電気アンカは、本来の意味から外れてるわけですね。
また、「行火」を持ち運びできて心を温めてくれる火と考えますと、まさに「仏の教え」と捉えても良いのではないでしょうか。

(プロジェクト実行副委員長)

2009年1月12日月曜日

島根県出身の若者が活躍中

島根県出身の若者は活躍している。
大相撲では隠岐の島町出身の福岡。昨年は幕下筆頭で好成績をあげた。残念ながら関取昇進にはならなかったが、初場所も幕下筆頭。とても期待できる力士です。
テニスでは松江出身の錦織圭選手。昨年の全米オープンでは16強入りを果たし、また先日のブリスベーン国際では8強入りとなった。
将棋では大社高校2年生の里美香奈・女流二段。
先日の新人王戦の1回選で男性棋士に勝利。これは史上最少年記録でもある。

皆さんに頑張ってほしいが、個人的には隠岐の島町出身の福岡にはとても期待している。
ちなみに昨日の初日は白星^^でした。

2009年1月9日金曜日

「告白」 湊かなえ著




タイトル:告白
著  者:湊かなえ
発行所 :双葉社

(帯より)
週刊文春2008年ミステリーベスト10  第一位
この冬、読んでおきたい、とっておきミステリー(TSUTAYA) 第二位
ミステリーが読みたい!2009年版 (早川書房) 第三位
このミステリーがすごい!2009年版 (宝島社) 第四位



学校を辞職する女性教師。
その理由は娘を殺されたから。しかも自分が担当するクラスの生徒に。
終業式のホームルームで犯人の生徒を指し示し学校を去っていく。

この事件に関連している人が次々に真実を告白していく。
女性教師はどのようにして復讐していくのか?
関係している生徒とその家族の思い。

復讐からは何も生まれないことはわかっていながらも・・・

そして衝撃の結末。
読み応えのある作品であった。
ブラックすぎるところもあるがお薦めです。

2009年1月8日木曜日

映画 「禅 ZEN」




曹洞宗を開いた道元禅師の生涯を描いた物語。

「禅 ZEN」公式サイトはこちらから
2009年1月10日全国ロードショー!!


<道元禅師について>
3歳で父を8歳で母を失くし、13歳で出家。
その後日本の仏教に満足せずに中国へほんとうの師(正師)を求めて渡る。
正師「如浄」と出会い26歳で悟りを開く。
帰国後、禅の教えを広めていき、47歳で永平寺を開く。
54歳で入滅。



大本山「永平寺」は若い雲水(修行僧)が集まる道場となっている。

2009年1月5日月曜日

一番尊いのは足の裏

明けましておめでとうございます。
今年も当ブログをよろしくお願いします。

今年初のブログは、仏教詩人の坂村真民さんの詩を紹介します。

『尊いのは足の裏である』 坂村真民(さかむらしんみん)

尊いのは
頭でなく
手でなく
足の裏である

一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの

しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ


頭から
光が出る
まだまだだめ

額(ひたい)から
光が出る
まだまだいかん

足の裏から
光が出る
そのような方こそ
本当に偉い人である




2009年に限ることではありませんが
「足の裏的な生き方」を目指していきたいと思う今日この頃です。