2010年3月31日水曜日

未来を予知する方法

『未来を予知しようとすることは、 夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、 後ろの窓から外を見るようなものである。 一番確実な未来予知の方法は、 未来自体を作り出してしまうことである。』(P.ドラッカー)  

どんな未来を作り出したいですか?
未来は今の積み重ねです。
年度も変わり、心機一転。
しっかりヴィジョンは持って日々いきたいものです。

2010年3月27日土曜日

5つの心(感謝、慈悲、敬う、わびる、許す)

平城遷都1300年記念のシンポジウムの基調講演での薬師寺、安田暎胤長老のお言葉です。


国をまほろばにするために、私は、感謝、慈悲、敬う、わびる、許す、という五つの心の大切さを説いている。

物をもらった時だけでなく、命あること、生きていること自体もありがたい、と感謝する心が必要だ。

女優のオードリー・ヘプバーンは晩年、ユニセフ(国連児童基金)の親善大使を務めた。バングラデシュで、貧しい子供たちにパンを配った時、もらった子供はパンを半分に割り、ヘプバーンにくれようとした。人間はだれしも自己中心的に生きているが、分かち合う純粋な慈悲の心を子供は持っている。

敬う心について、メジャーリーガーの松井秀喜選手は、尊敬する人物のトップにお父様を挙げた。父親をトップに挙げる息子に父親は「もう子供は私を抜いた」と、率直に尊敬していた。

わびる・許すということは大変難しい。わびれば自分は不利になるから、なかなか謝ることができない。でも、わびることで、人間関係を良好に保てる。
妻子を殺されたら、なかなか許せない。でも、許さなければこちらが苦しい。怨みに報いるに怨みを持ってしては、怨みは永遠にやまない。怨みを捨ててこそ怨みはやむと、お釈迦様はおっしゃっている。

人間の無限の欲望を、有限の地球は、受け入れてくれるだろうか。まほろばを捨ててしまうのではないか。いつの時代も、美しい心が美しい世界をつくると思う。

            (2010年3月23日 火曜日 読売新聞朝刊より)



まほろばとは、素晴らしい場所・住みやすい場所ということ。
五つの心が持てるよう、日々精進していかなくてはなりません。

2010年3月19日金曜日

プチ修行開催


以下の日程でプチ修行開催です。

3月30日(火)午後
3月31日(水)終日

新年度を迎える前に自分の心をみつめたり、リフレッシュしてみては
いかがでしょうか?

2010年3月15日月曜日

挙一明三(こいちみょうさん)

お釈迦様のお話です。

4種類の馬がいるように、人間にも4種類の人がいる。

<1種類目>
 この馬は鞭を振り上げようとすると、すぐに走り出します。

<2種類目>
 この馬は鞭が尻尾に触れると、すぐに走り出します。

<3種類目>
 この馬は鞭で叩かれて、走り出します。

<4種類目>
 この馬は鞭でおもいきり叩かれてはじめて走り出します。

人間もこれと同じで4種類ある。

<1種類目>
 他の町の老病死の話を聞いたり見て、自分のそれを自覚する

<2種類目>
 近所に住む人の老病死を聞いたり見て、自分のそれを自覚する

<3種類目>
 近親者の老病死を聞いたり見て、自分のそれを自覚する

<4種類目>
 自分の老病死を目前にして、ようやくそれを自覚する

みなさんはどれに当たりますか?

挙一明三とは、一を挙げて示すと三を理解するということで
とても賢く理解の早いことを言います。

他人が老いていったり、病んでいったり、死んでいくのを見たり、聞いたりして、我々は自分も同じようになるということを自覚するということが大事であり
一つの事柄から真理に近づいていくことが、仏教を学ぶということです。

2010年3月10日水曜日

本当の祈りとは?

ハイチやチリの大地震。
天災や事故などはいつ襲ってくるかわからない。
たとえ、お守りをもっていようが、お祈りしていようが
思い通りにならないのがこの世の中。

では天災や事故、お守りに対して祈るべきこととは何なのでしょうか?
芥川賞を受賞した僧侶でもある玄侑宗久さんが
「お坊さんでも悩んでいる」(文春新書)で次のように述べています。

お守りやお札も、そりゃあ持てばいいですけど、
持ってたからって、べつにあなたの考える幸運が訪れるとは限りませんよ。
お守りやお札は、あなたがどんな状況に陥っても、
それが不幸だと即断しないように持つものです。厄落としだってそうです。
何が厄なのかは、すぐにわかりません。(中 略)
そんな判断を留保し、冷静に流れを見極め、
心をニュートラルに、元気に、保つ。お守りやお札を見たらそう思ってください。


たとえどんな状況に立たされようとも、心が自由であるように祈ること。
人生の主人公は自分自身。つまり自分次第でどうにでもなるということ。
しかし、そうすることは易しいように思えるが、一番難しいのです。

2010年3月7日日曜日

泣くことから卒業する日

人が死んでから100日目に行う法要を百箇日と言います。
別名「卒哭忌」とも言われ、哭、つまり泣くことから卒業する日と言う意味があります。

言い換えると、100日程度まではしっかりと悲しみ、泣きましょうということです。
もちろん、それ以上かかる人もいるかもしれませんが。

身内の死、身近な人の死を前にして
毅然とした気持ちでいなければいけないこともあるでしょう。
悲しんでばっかりいられない時もあるでしょう。
それはやむを得ないことです。

しかし、悲しくて、泣きたい気持などをいつまでも抑え込んでいると
身心に不調をきたすこともあります。

前をしっかり向いて生きていくためにも
しっかりと悲しんだり、泣くことも忘れないでいきましょう。

2010年3月2日火曜日

3月のことば

天と地が生まれて、物に名がついたわけだが、
名とは、物の表(うわ)っ面にただ張りつくものだ。

美しいと汚いは、別々にあるんじゃあない。
美しいものは、汚いものがあるから、美しいと呼ばれるんだ。

善悪だってそうさ。
善は、悪があるから、善と呼ばれるんだ。
悪が在るおかげで、善が在るってわけさ。
同じように、ものが「在る」のも、
「無い」があるからこそありうるんでね。
お互いに
片一方だけじゃあ、ありえないんだ。

     (加島祥造著「タオ 老子」より)



ついつい片一方だけを望んでしまいがち。
しかし、片一方のあるおかげでもう一方があるのです。

消極的な自分、悲観的な自分などを嫌う必要はありません。
むしろそれらがないと反対はあり得ないのですから。