2011年12月31日土曜日

よいお年を


今年はプチ修行だけでなく、瞑想も回数が増え参加者と有意義な時間を

過ごすことができました。

今年もブログをご覧くださりありがとうございました。

左にある読者登録、気づけば10名にもなっていました。

来年が皆様にとってよい年になりますように。

合掌

2011年12月21日水曜日

代受苦者

仏教では戦争や自然災害での犠牲者のことを「代受苦者」と呼び

自分の代わりになってそれらを受けてくださった人、という意味です。


瀬戸内寂聴さんは、東北の震災で亡くなった人は、我々の代わりに苦しみを

受けた「代受苦者」であり、だからこそ、感謝をこめて亡くなった方々を供養

しなければいけない、自分の命を大切にしなければいけないと説法していました。

被災された方々も同様で、我々の代わりに苦しみを受けられている

「代受苦者」なのです。だから、決して他人事ではすまされないことになるのです。


因みにお地蔵様は、「代受苦の仏様」と言われており、暖かい眼差しで我々の

苦しみを引き受けて下さる仏様です。

2011年12月18日日曜日

瞑想カフェ

先日の土曜日にお寺にて瞑想を行いました。

5名の参加者が朝早くお寺にあつまり、瞑想を行いリラックスしたところで

お茶とおしゃべりもしながらの楽しい時間を過ごすことができました。

瞑想カフェという名前で定期的に行ってみては、との声もあがったので

今後継続していければと思っています。

参加者の皆さんありがとうございました。

2011年11月9日水曜日

ザクロを持っている仏像

お寺の庭のザクロが大きな口を開け食べごろとなってきました。

仏教ではザクロのことを吉祥果(きちじょうか)と呼びます。
ザクロは一つの実の中にたくさんの小さな実があり、その一つ一つがそれぞれ小さな種を持っていることから、子孫繁栄をあらわす縁起のよい果物とされているのです。


なんとそのザクロを右手に持ち、左手には赤ちゃんを抱いている仏像があります。
それは鬼子母神(きしもじん)です。↓




鬼子母神とは、その昔多くの子供を持ち、他人の子供をさらって食べる鬼神で人々から恐れ憎まれていました。人々から相談を受けたお釈迦様は、彼女が一番愛していた末子を隠すことにしました。

彼女は探し回り苦しみました。そして彼女は子供を失った母親の苦しみを悟り、仏教に帰依しました。
以後、子供や安産をつかさどる神になったのです。
そして、右手にザクロを持つことで子育ての神として子孫繁栄の願いが込められているのです。

ザクロは人の肉の味がすると昔からわ言われています。
鬼子母神は子供の味が恋しくて右手にザクロをもっているとも言われていますが・・・
それは違うでしょう。

2011年11月8日火曜日

前後際断

これは禅の言葉です。

仏教では時間は連続しておらず、フィルムのように一コマ一コマ断続したものである
と考えます。
たとえば、我々は冬から春になると考えますが、そうではなく冬は冬であり、春は春であると考えます。
薪が燃えて灰になると思ってますが、薪は薪であり、灰は灰であって、連続しているのではないということです。
人生も同じで「今、この瞬間」でしかありません。
過去は過ぎ去ってしまったものであり、未来はまだ来ていません。
今この瞬間を精一杯生ききることが大切なのです。

2011年9月21日水曜日

みんなを好きになれる人

可愛い赤ん坊を授かった両親。

どうかこの子が「誰からも好かれる子どもになりますように」とお願いをしました。

その通りになったものの子どもは我がままになりました。

はっと気づいた夫婦は

今度はどうかこの子が「みんなを好きになれる子どもになりますように」とお願いをしました。

そうすると、誰でも好きになれる素晴しい人になりました。





みんなを好きになるよりも、みんなから好かれたいと思ってしまうかもしれません。

その方が楽ですから。

「好きになること」、これは簡単なようでなかなか難しいことですね。

2011年9月19日月曜日

お彼岸です。

7月、8月はプチ修行に施餓鬼法要、お盆参りとお寺にとっては一番忙しい月でした。

もう9月も半ば。今日は半袖では寒い一日となりました。

一雨ごとに秋に近づいてきているかもしれません。

さて、明日から一週間はお彼岸です。

「おはぎ」を食べるのもよいですが、

お墓参りして、先祖を敬い、故人を偲ぶこともお忘れなく。






彼岸花 京都風景写真館より

2011年6月29日水曜日

「しあわせ」と「幸福」の違い

幸福という言葉は明治時代に英語のhappinessの訳語としてできたもの。
西洋の幸福については、個人の幸福が社会全体の幸福につながり、社会全体の幸福が個人につながるという個を中心とした思想で、また幸福を数値化してもいる。

日本ではどうなのか?
芥川賞作家で僧侶でもある玄侑宗久氏は『しあわせる力』(角川SSC新書)の中で次のようなことを述べていた。

「しあわせ」という言葉は奈良時代からあり、もともとは「為合わせ」と書き、室町時代になり「仕合わせ」に変わっていった。

剣道も昔は剣道の試合とは書かずに「仕合」と書いていたとか。

「仕合わせる」だから、意味としては人との関係・つながりを意味しており、「しあわせ」はその中にあると考えていた。
個中心ではなく相手がいるということが西洋の考え方と大きく違う。
相手とうまく「仕合わせる」ことが「しあわせ」につながっていく。

また幸福の「幸」という字は「さいわい」と読むが、「さきわう」という意味もあり、これは賑やかにいろいろな花が咲いている状態のことで、一人では無理。一本では咲き賑わえない。つまりこれも人間関係で、お互いに相手を思いやって咲きあって生きていくことだと。


便利になって「しあわせ」と感じているようでは、それは西洋の幸福であり、本当の意味での「しあわせ」ではない。

原発に大震災、危機的状況にある日本。
いまこそ、真の「しあわせ」を忘れてはいけないと思う。

2011年6月1日水曜日

2011年5月22日日曜日

牛といっしょに散骨供養

19日(木)に散骨供養を行いました。

慰霊所から眺めるカズラ島(散骨する場所)

とてもよい眺めだなと思いながら供養を始めました。

お経がはじまってからしばらくすると、遠くにいた牛が

列をなして「モウ~」と泣きながら私の前を何頭も横切っていきました。

ちゃんと仕切られているので襲われることはありませんが・・・。

牛もいっしょに供養してくれたのかもしれませんね。

2011年5月1日日曜日

5月のことば

日頃からよく勉強しよく考え

大事なときに そういったものを

すべて捨て去って 自然体になる

(井上ひさし)

2011年4月13日水曜日

「ひび割れ壺」の物語

あるインドの水汲み人足は、二つの壷を持っていました。
天秤棒の端にそれぞれの壷をさげ、首の後ろで天秤棒を左右にかけて、
彼は水を運びます。
その壷のひとつにはひびが入っています。もうひとつの完璧な壷が、
小川からご主人様の家まで一滴の水もこぼさないのに、
ひび割れ壷は人足が水を一杯入れてくれても、
ご主人様の家に着く頃には半分になっているのです。
完璧な壷は、いつも自分を誇りに思っていました。
なぜなら、彼が作られたその本来の目的をいつも達成することができたから。
ひび割れ壷はいつも自分を恥じていました。
なぜなら、彼が作られたその本来の目的を、彼は半分しか達成することが
できなかったから。

2年が過ぎ、すっかり惨めになっていたひび割れ壷は、ある日、
川のほとりで水汲み人足に話しかけました。
「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている」
「なぜ、そんなふうに思うの?」水汲み人足はたずねました。
「何を恥じているの?」
「この2年間、私はこのひびのせいで、あなたのご主人様の家まで水を半分しか
運べなかった。水がこぼれてしまうから、あなたがどんなに努力をしても
それが報われることがない。私はそれがつらいんだ」
壷は言いました。
水汲み人足は、ひび割れ壷を気の毒に思い、そして言いました。
「これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いているきれいな花を見てごらん」

天秤棒にぶら下げられて丘を登って行くとき、ひび割れ壷は、
お日様に照らされ美しく咲き誇る道端の花に気づきました。
花は本当に美しく、壷はちょっと元気になった気がしましたが、
ご主人様の家に着く頃には、また水を半分漏らしてしまった自分を恥じて、
水汲み人足に謝りました。

すると彼は言ったのです。
「道端の花に気づいたかい?花が君の側にしか咲いていないのに、気づいたかい?
僕は君からこぼれ落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいたんだ。
そして君は毎日、ぼくたちが小川から帰る途中、水をまいてくれた。
この2年間、僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。
君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様は、この美しさで家を飾ることは
できなかったんだよ。」
        (思春期の子どもの心のコーチング 菅原裕子著より抜粋) 



我々はついついひび割れているのを責めたり、ひび割れを治そうとしたりしがち
ですが、そのままにしてそれを生かす水汲み人の視点は忘れてしまいます。
不完全だからこそできることもあるのですね。

欲には際限がないのに、ないものねだりをどうしてもしてしまうのが人間です。
大切なことは、今の自分、ありのままの自分でもOKとういことなのだと思います。
仏教では、生まれながらにして誰にでも仏の心が宿っていると考えます。
求めたり、変えようとするのではなく、そのままの自分をもっと大切にして
いかなければいけません。

2011年4月7日木曜日

矛盾の中で生きる

震災からはや一ヶ月が過ぎようとしています。
テレビなども震災後とは違いドラマやお笑い番組などを放送するようになりました。
悲しい、不安な気持ちもあるのと同時に笑いや楽しみもあるのが現実です。

被災者の方へ思いを馳せることは大切だと思います。
それと同時にいつもの日常に目を向けていかなくてはいけません。
我々は矛盾しながらも、矛盾と向き合って生きていく存在なのですから。

いろいろな矛盾した気持ちを内在化させることこそが重要なのかもしれません。

2011年4月4日月曜日

インドからの助っ人 「天」

仏像界の第四グループ「天」について説明します。
「天」もまた前回説明したように明王と同じで煩悩を切り捨てる武闘派集団です。

寅さんで有名な葛飾柴又の帝釈天や戦の神様である毘沙門天、運慶、快慶で有名な東大寺の金剛力士像も天の一員です。

仏教界を護るガードマンの役割ですが、同じ武闘派集団の「明王」と何が違うのでしょうか?

「天」はインドの神話にでてくる神様のことで、もともとは「天」は仏教界のメンバーではありませんでした。
「天」とはデーヴァ(古代インド語のサンスクリット語で神という意味)が語源で、当て字です。

仏教が広まる前のインドではヒンズー教という多神教が信仰されていました。
その中にはインドラという神(最強の戦士)やブラフマン(宇宙を作った創造神)などなど多彩な神様がいました。
そしてインドラは帝釈天、ブラフマンは梵天として仏教に取り入れられていきました。つまりもともといたインドの神様たちを、仏教を護るガードマンとして取り入れたのが「天」なのです。
外国から来る助っ人選手のようなものなんです。

これはインドの神話の中にもでてくるということでさまざまな姿をしていて、菩薩や如来よりもよりわれわれに身近なものもありました。

たとえば、天の最高ランクに位置づけされるのは四天王(多聞天、広目天、増長天、持国天)は、東西南北に分かれて、如来や菩薩を護っています。
甲冑に身をつつんで四者四様おもいおもいの格好をしている自由さが人気の理由でした。

お寺で住職が拝む場所の天井を見上げてみると、四隅に四天王がまつられていたり、あるいは紙に四天王の名前を書いて四隅の柱に貼っていたりします。

四天王以外では、足の速さを形容する韋駄天やよく知られている閻魔様も「天」の一員です。

そして天はしばしば四天王のようにユニットを組むこともあります。
ご利益により様々なユニットが考えられ仏像としてつくられました。
さらには、四天王の一人の多聞天は戦国時代に大ブームを巻き起こし名前を変えて活躍します。それが上杉謙信の守り本尊として有名な毘沙門天。

毘沙門天はさらに弁才天、大黒天の二人と一緒に、日本の神様ともユニットを組み七福神として日本にすっかり定着しました。

如来、菩薩、明王、天以外にも、空海、鑑真などの高僧も仏像となっています。
その年、その時代に合わせ、救いの形を進化させ、日本の民衆に愛されて来た如来、菩薩、明王、天などの仏像。願いの数だけいろんな仏像が欲しい、そんな人間のご利益主義が、多種多様な仏像を生んだのかもしれません。




参考:1/3放送 日テレ「たけしの教科書に載らない日本人の謎!仏教と怨霊と天皇…なぜホトケ様を拝むのか」

2011年4月1日金曜日

仏教界の闇の仕事人 ~不動明王~

仏像の世界はおおきく4つのグループに分かれています。
仏像界は如来を頂点に菩薩、明王、天の順番で構成されており
企業の中の役職のようにとても明確な上下関係が存在しています。
そしてそのグループ内でもさらに細かな役割が決められています。

前回は菩薩のグループであるお地蔵様について説明しました。
今回は、仏像界の第三グループ、怒りの形相で仏教の教えを広める明王です。

昨年市川海老蔵が結婚を報告した成田山新勝寺のご本尊は不動明王(お不動様)です。


↑我が家の庭にある不動明王です。怒っています。


なぜ怒りの形相なのでしょうか?

明王は大日如来の化身・分身です。そして明王が救うのが難解の衆生、簡単に言うといくら言っても言うことを聞かない人のことです。
大日如来が変身して悪を懲らしめる、これが明王なのです。



明王は激しい煩悩を背後の炎と右手に持っている剣で焼き尽くし、道に迷うものあれば左手に握られている縄で縛ってでも救うと言われています。
慈悲の心ではなく怒りで仏教界を護るのです。
言うなれば、仏教界の闇の仕事人、裏のガードマンなのです。

武力をもって力尽くで人を救う明王。しかし、武闘派集団は明王だけではありません。
仏像界の第四グループの天もまた煩悩を切り捨てる武闘派集団です。
これは次回に説明します。


参考:1/3放送 日テレ「たけしの教科書に載らない日本人の謎!仏教と怨霊と天皇…なぜホトケ様を拝むのか」

2011年3月30日水曜日

庶民のアイドル地蔵菩薩

観音様は寺まで拝みに行かなければ人々を救ってくれません。
でも世の中にはもっと親切な菩薩がいます。
それが、地蔵菩薩です。



皆さんの身の周りでもよく目にするお地蔵さまも菩薩なのです。
人々を助けるため自ら出向き救いの手を差し伸べ、だめな人ほど救ってくれるといわれています。その結果至る所で見うけられる仏様なのですが、なぜ親しみのある愛らしい顔をしているのでしょうか?

地蔵菩薩は地獄に落ちた人までも救ってくれるといわれています。
親より先に亡くなった子供は賽の河原(三途の河原)で親不孝の責め苦を受けるのですが、地蔵菩薩が地獄の鬼から子供たちを救ってくれるのです。
そこで賽の河原から連想される石で作られ、顔も子供たちそっくりの丸い形で作られるようになったといいます。

上流階級がきらびやかな観音様に傾倒していくなか、お地蔵様はその身近さから庶民たちのアイドルとなっていきます。

地蔵菩薩というのは、庶民のささいな願い事をきいてくれたり、身代わりになってくれるという信仰が強いのです。そして民衆の助かりたい、あやかりたいという願いはやがて、身代わり地蔵、とげぬき地蔵、子育て地蔵、そうめん地蔵、縛られ地蔵、化粧地蔵など全国様々なバリエーションを生んでいくことになりました。


次回は仏像界ナンバー3の明王グループについて説明します。

参考:1/3放送 日テレ「たけしの教科書に載らない日本人の謎!仏教と怨霊と天皇…なぜホトケ様を拝むのか」

2011年3月26日土曜日

仏像界の中間管理職 <菩薩グループ>

仏像の世界はおおきく4つのグループに分かれています。
仏像界は如来を頂点に菩薩、明王、天の順番で構成されており
企業の中の役職のようにとても明確な上下関係が存在しています。
そしてそのグループ内でもさらに細かな役割が決められています。

前回は如来グループについて説明しました。
今回は庶民から圧倒的支持を受ける菩薩グループです。

弥勒(みろく)菩薩やおなじみの観音様(観世音菩薩)、お地蔵様も地蔵菩薩です。
企業の中の役職に例えると中間管理職にあたります。

つまり、如来が悟りを開いているのに対し菩薩は悟りを目指し修行中の身、上を目指して修行をしながら苦しむ人々を救う仏とされています。

菩薩とは修行僧という意味のサンスクリット語(古代インド語)ボーディ・サットヴァがもとになっています。

ちなみに釈迦の次に悟りを開くとされているのが弥勒(みろく)菩薩と言われています。しかし悟りを開くのは、宇宙の終わりといわれる56億7千万年後とされています。

如来は学者などのような難しい語り口で教えてくれますが、それを理解しがたい人も多いのです。一方で菩薩は同じことを説いてくれても、もっと優しく説いてくれるのです。だから菩薩のほうが庶民にとってはより身近な存在でした。

そしてすべての人々を救うには如来だけでは手が足りないということで菩薩は如来の脇に立ち如来とユニットで作られることが多かったのです。

釈迦如来の脇には文殊(もんじゅ)菩薩普賢(ふげん)菩薩
文殊菩薩は知恵をつかさどり、普賢菩薩は修行をつかさどる

三人寄れば文殊の知恵はこの文殊菩薩からきています

菩薩は立っていたり、動物に乗っていたり、腰をひねったり、片足を前に踏み出していたりしていますが、これは少しでも早く人々を救えるように動きを表しています。

その他にも菩薩は美しい布をまとい、王冠やピアス、首飾りなどのアクセサリーを身につけた姿でつくられ、これは釈迦の出家前の王族時代の姿をあらわしています。
我々俗人にきわめて近いということをあらわしており、より身近な存在として非常に人気がでてきました。特に鎌倉時代以降、庶民信仰の中で人気が出ました。
悟りを開いている如来よりも身近な存在として、そのきらびやかな外見もあいまって菩薩は上司の如来を凌ぐ人気を持つようになりました。

それを象徴するのが観世音(かんぜおん)菩薩です。
観音菩薩は非常に優しい顔でつくられていて、菩薩の中でも超人気者となりました。

観音菩薩はもともと女性でも男性でもないのですが、優しいイメージで近づくものを広く暖かく受け入れてくれる為、いつしか仏像の姿も女性のイメージになり、爆発的人気になっていきました。

あまりの人気に、如来を差し置いて単独で活動するようになり、さらに人々の欲望のままに変身をとげるようになっていきました。

二本の手だけでは人々を救いきれないだろうと、救いの手を増やした結果が
あの千手観音です。

世界中をもっと見渡してもらおうと、顔を11に増やした十一面観音まで存在します。
京都三十三間堂の場合は、千対の観音像で千の手を表現しています。これならどんな人でも救えてしまいます。
さらに、大船観音、高崎観音のように、手が増え、顔が増えるだけでなく、巨大化までして色々な人を救うのが観音様なのです。


(大船観音写真)


しかし観音様は寺まで拝みに行かなければ人々を救ってくれません。
でも世の中にはもっと親切な菩薩がいます。
それが地蔵菩薩です。

次回は地蔵菩薩について説明します。


参考:1/3放送 日テレ「たけしの教科書に載らない日本人の謎!仏教と怨霊と天皇…なぜホトケ様を拝むのか」

2011年3月18日金曜日

仏像の世界<如来グループ>  

お寺には仏様が仏像という形で祀られています。
しかし仏像といってもその種類は豊富です。
東大寺の大仏、阿弥陀如来、金剛力士像、不動明王などは
耳にしたことがあるのではないでしょうか。
立っている仏像もあれば、笑っていたり、怒っていたりする仏像もあります。
日本には世界一と言われるほど、多種多様な仏像があるのです。

では仏像の世界を説明していきます。

仏像界は以下の通り大きく4つのグループに分かれています。

<如来グループ>・・・仏像界の頂点
<菩薩グループ>・・・ナンバー2
<明王グループ>・・・ナンバー3
<天グループ>・・・ナンバー4



<如来グループ>
最も位の高い仏像のことで、会社で言うと、社長、会長、名誉会長のようなものです。

如来とは真理に目覚め悟りを開いたもののことで
如来以外の仏像は、すべて悟りを開いていない修行中の身なのです。

世界最初の仏像は一世紀に作られた釈迦如来という如来の一種。
最初の仏像ができたのは、お釈迦様がなくなってから500年後にはじめてできました。
それまでは仏像は存在しませんでした。しかし仏教の布教には仏像は必要でした。
お釈迦様の姿を拝みたいという信者たちのラブコールに応えてついに釈迦は仏像となり釈迦如来となりました。
歴史がくだってくると同時に仏教を信じる人の裾野が広がり、そして庶民のニーズに応える形でさまざまな仏像ができるようになっていきました。

如来グループの仏像として、有名なのが奈良の大仏です。
これは毘盧遮那(びるしゃな)如来↓を仏像にしたものです。

他には阿弥陀如来があります。
極楽浄土の案内人で「南無阿弥陀仏」と唱えれば成仏できるという手軽さが受け、日本の寺院で最も多く祀られています。
鎌倉の大仏↓は阿弥陀如来です。


奈良時代の人気ナンバーワンの仏像が薬師如来です。
医薬を司る仏様で、医王という別名もあり、我々の病気を治し、安楽を与える仏様です。健康の象徴として顔がふっくらとしています。

その他、太陽を神格化した大日如来もあり、経典に記されたさまざまな如来は仏像となっていきました。

仏像界の頂点に立つグループ
 釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来、毘盧遮那(びるしゃな)如来


次回は<菩薩グループ>について説明します。


参考:1/3放送 日テレ「たけしの教科書に載らない日本人の謎!仏教と怨霊と天皇…なぜホトケ様を拝むのか」

2011年3月13日日曜日

謹んで震災のお見舞い申し上げます。

この度の東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆様に

謹んでお見舞い申し上げます。

皆様の安全と被災地の一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

2011年3月3日木曜日

冬きたりなば春遠からじ

3月に入りそろそろ春らしい天気を期待していたのに
また冬に逆もどり。外はうっすら雪化粧です。

「冬きたりなば春遠からじ」

一日一日のつみかさねが春を呼ぶのかもしれません。


以下、坂村真民さんの詩です。

つみかさね

一球一球のつみかさね
一打一打のつみかさね
一歩一歩のつみかさね
一座一座のつみかさね
一作一作のつみかさね
一念一念のつみかさね

つみかさねの上に
咲く花
つみかさねの果てに
熟する実

それは美しく尊く
真の光を放つ


ほころびないもの

わたしのなかには
生き続けている
一本の木

わたしのなかに
咲き続けている
一輪の花

わたしのなかに
燃え続けている
一筋の火

ものみなほろびゆくもののなかで
ほころびないものを求めてゆこう
人それぞれになにかがある筈だ

2011年3月1日火曜日

3月のことば

自然に生きてるってわかるなんて

なんて不自然なんだろう

(「イメージの唄」作詞作曲 吉田拓郎)

2011年2月15日火曜日

心の中に棲む「4匹の毒蛇」

山中で修行をしていた人がおりました。
その山中には、毒蛇がたくさんいたので修行していた人は
蛇がこないように床を高くして座禅をしていました。
高くはしたものの蛇のことが気になり、毎晩眠れませんでした。

そこでお釈迦様はその人を啓発してやろうと、毎晩修行者のもとに
姿を変えやってきて「毒蛇が来たぞ!」と言いました。
修行者はその度ごとに灯火をつけてあたりを調べましたが毒蛇はいませんでした。

何度も繰り返されるので修行者は
「なぜうそを言うんだ」と怒りました。

そうするとお釈迦様は次のように言いました。
「あなたはどうして自分の内にある心の毒蛇を見ないのですか?
 あなたの心の中には4匹の毒蛇が棲みついております。
 退治もしなくて、外ばかりみていても修行はできません」


さて、心の中に棲む4匹の毒蛇とは

1.疑いの心
2.なまけ、おこたる心
3.自己中心的な心
4.思い上がりの心   を意味しています。

2011年1月6日木曜日

死に近づいた

門松や冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし

これは有名な一休さんの作った歌です。

門松とは正月を指します。
一里塚というのは、
昔の道は、一里毎に旅行者の目印として塚(土盛り)がありました。
それが一里塚と言われるものです。

意味としては、

正月が来て、めでたい、おめでとうと言っているが
一年経過したということは、みな冥土の世界に近づいたということだ。
それのどこがめでたいのか。

まさにその通りです。
生あるもの必ず死ぬのです。
生きているということ自体、冥土に向かって旅をしているということなのです。
そして一日一日我々は死に向かって進んでいます。
だからこそ今を大切に生きていきましょう。

2011年1月3日月曜日

小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり

新年明けましておめでとうございます。
今年も当ブログをよろしくお願いいたします。

今年初のブログは「野鴨の話」です。

以下 『Tワトソン・ジュニアの「企業よ、信念をもて」』より引用です。

『IBMで我々はしばしば、我々の行動を‘野鴨’に例えて話をする。
この教訓はデンマークの哲学者ゾレン・キェルケゴールの話からきている。

キェルケゴールは、毎年秋大きな集団を作って南方に飛び去る
野鴨を観察したジーランド海岸に住む人の話を書いている。
この人は慈悲深い人で、近くの沼に野鴨の為にエサを与えていた。

しばらくすると、鴨のうちの幾羽かは南方へ飛び去ろうとしなくなった。
この人の与えるエサを頼りにして、デンマークで越冬するようになったのである。
だんだんこの鴨達は飛ぶ事が少なくなってきた。
野鴨が帰ってくる時、この鴨達はこれを迎える為に空を旋回するのだが、
すぐに沼のエサ場に舞い戻るようになった。

三、四年の後には、この鴨達はすっかりだらしなくなり、
飛ぶ事さえ難しい程太ってしまった。キェルケゴールは言う。

一.野鴨を馴らす事はできよう。
しかし、慣らした鴨を野生に返す事はできないと。

もう一つ、馴らされた鴨はもはやどこへも飛んでいく事はできない、
ともいえよう。
ビジネスには野鴨が必要なのである。
そしてIBMでは、その野鴨を馴らそうとはけっしてしない。』

         

何気ない優しさ、小善が、鴨を死に追いやりました。
野生の力を失わないようにすることが本当のやさしさであり
一見冷たい、非情なようなことでも、大善につながっていくのです。

作家三浦綾子さんも同じようなことを言っています。

ほんとうに人を愛するということは、
その人が一人でいても
生きていけるようにしてあげることだ。


(『道ありき』三浦綾子著)

上司と部下、親子など様々な人との関係の中でこのことは言えるのでは
ないでしょうか。

大善をしていますか?
大善をしてくれる人が身近にいますか?

小善をしていませんか?
小善をされて喜んでいませんか~?