2008年11月29日土曜日

大袈裟(おおげさ)

内容や振る舞いが、事実や通常より派手だったりと実質以上に誇張されている事を言います。
元は、大袈裟に切る、と言った使い方をしてまして、刀で大きく袈裟(けさ)がけに人を切る事を意味していました。「袈裟がけ」とは、僧侶が袈裟をかける様子、つまり左肩から右脇下までを袈裟で体を覆った態を表してます。
大袈裟に切るとは、肩から反対の脇下にかけてバッサリ切る事なんですね。
袈裟本来の意味は、地味な色というものだったんですが、それが今や人を切る様子や派手な意味合いに使われるとは、袈裟を着けてたこれまでの僧侶に問題があったのかもしれません。
反省したいところであります。 (実行副委員長)

2008年11月28日金曜日

凹み人の詩 (へこみびとのうた)

人生いつもよい時ばかりではありません。
凹んだ時、落ち込んだときにどうぞ。

2008年11月24日月曜日

「将来」は今の積み重ね

「将来」という言葉はとてもあいまいである。
5年後のいつなのか、10年後のいつなのか。個人差もある。

今の積み重ねが将来でしかない。

将来こうありたいという目標なり夢がある。
ではそれらをかなえるためには、具体的に今から何をしていかないといけないのか決まってくる。そして具体的に行っていく。
日々のその積み重ねなくしては目標や夢は実現できないのである。

「将来」というこの言葉、うやむやにしてしまう便利な言葉でもある。

仏陀の化身

10ヶ月瞑想を続けて以前話題になったネパールのラム・バハドゥール・バンジャン君(17)。
9ヶ月ぶりに人前に現れ、説法をしてまた姿を消した。

信者以外にも多くの人々が彼を見ようと集まってくるらしい。
仏陀の化身とも言われている。

様々な問題を抱えている世界の救世主となるのか???

2008年11月20日木曜日

お薦め本

海士町司書さんからお薦め本を紹介してもらいました。

川上弘美著 「風花(かぜはな)」(集英社)

都会に住むすれ違いの夫婦のお話です。
僅か一ミリのすれ違いが、数年たつと取り返しのつかない距離に・・・
そして何も言えなくなる。

夫婦のコミュニケーションを考えて見るにはよい一冊でしょう。

2008年11月18日火曜日

「型破り」と「形無し」

歌舞伎の中村勘九郎さんの言葉です。

基本がしっかりあり力をつけて型ができているので「型破り」と言える。
基本もない、力もないのに新しいことをしようとすると「形無し」になる。

「型破り」な人だなと思っていたら、それは意外と「形無し」な人だったりすることも・・・

「型破り」が「形無し」にならぬよう、基本はしっかりと身につけたいものです。

2008年11月15日土曜日

桃栗三年柿八年

先日東京で苦楽を共にした後輩の結婚式が行われた。
披露宴でスピーチの際、ある方が言った諺です。

桃栗三年柿八年

桃と栗は芽生えてから三年、柿は八年で実を結ぶということ。
つまり何事も成就するまでにはそれ相応の年月がかかるということです。

因みに桃栗三年柿八年の後には、色々な言葉が続くようです。地方によっても違うとか。
~梅は酸い酸い13年
~柚は大馬鹿18年、
~りんごニコニコ25年、
~女房の不作は60年、
~亭主の不作はこれまた一生、
~柚子は9年でなり下がり、梨のバカめは18年
~柚の大馬鹿18年、銀杏の気違い30年 などなど。

2008年11月10日月曜日

自己中な世の中

講演を聴いているときの出来事。

講演途中に20代後半の男性が入ってきた。
私の隣は空席がありそこに彼は座ろうとしてこちらに向かってきた。
その空席へ行くには、私の前を通らないと座れない席。
座っていると通路が狭いため、私が立って移動しないと通れない状況であった。

彼は私の前を強引に通り抜けようとした。私は立って移動し彼は通ることができた。しかし、「すみません」も何もない。講演途中にも彼は出ようとした。その時も何も言わずに強引に私の前を通ろうとした。私は立って移動し、彼はまた通ることができた。その時も何の言葉もない。ただ私をチラッとみただけ。

「すみませんぐらい言え」と喉もとまででかかったが、講演中でもありぐっと我慢。
そういえば出張で東京に行ったときも電車の中で足を踏まれたが、すみませんも言わない人がいた。足が痛く睨んでしまったが、その時も相手はちょっと頭を下げるだけだった。

世も末だなと思う出来事であった。
「先生、世も末ってなんですか?」と学生より聞き返されたと大学教授が嘆いていた記事を思い出した。(笑)

自分さえよければよい。他人のことは関係ないのか。
「そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ」が流行った理由もうなずけるような気がした一日であった。

2008年11月9日日曜日

ユニバーサルデザイン

最近「ユニバーサルデザイン」という言葉をよくきく。
定義は、「特別な設計などせずに、誰もが可能な限り最大限まで利用できるように配慮された製品や環境のデザインのこと」。
年齢や障害の有無などに関係なく、使いやすいようにデザインすることなのです。

私は、色々な人を思いやっているデザインだと思っている。

ユニバーサル教育、ユニバーサルな授業など教育現場でも積極的に用いられている。

お寺にもこの考えは必要かもしれない。

メモ

サイエンスライター柳澤桂子さんの言葉

『医師』はそのひとの人格以上の『医療』はできないものである

『 』には様々な職業が入るのではないでしょうか。

2008年11月8日土曜日

中国太郎

仕事で浜田へ。
松江から電車に乗り浜田へ向かう。
下の写真は電車に乗りながら江津駅近くで撮った写真、江の川(ごうのかわ)である。
中国地方最大の川で江川(ごうがわ)とも呼ばれている。

江津出身の友人がおり教えてもらったが、この川は別名「中国太郎」とも呼ばれている。