2009年3月31日火曜日

誕生日は感謝する日

昨日は誕生日でした。
同じ誕生日の著名人を調べてみました。

1853年3月30日 ビンセント=ヴァン=ゴッホ (Vincent van Gogh)
1924年3月30日 高田 好胤 (たかだ・こういん) 
1927年3月30日 堤 清二 (つつみ・せいじ)
1938年3月30日 島倉 千代子 (しまくら・ちよこ) 
1945年3月30日 エリック=クラプトン (Eric Clapton) 
1963年3月30日 M. C. ハマー (M. C. Hammer) 
1968年3月30日 セリーヌ=ディオン (Celine Dion) 
1979年3月30日 ノラ=ジョーンズ (Norah Jones) 

40歳に近づいてきましたが、何歳になろうとも、この年まで無事過ごさせていただいたことを、お世話になった人たちに感謝する日だということを忘れないようにしたいです。

2009年3月29日日曜日

ならぬことはならぬものです

会津藩は藩士の教育にとても熱心で、6歳頃より藩士としての心得が教え込まれていました。
それが有名な「什(じゅう)の掟」です。

 一、年長者の言うことは聞かねばなりませぬ。
 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
 一、嘘を言ってはなりませぬ。
 一、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
 一、弱いものをいじめてはなりませぬ。
 一、戸外でものを食べてはなりませぬ。
 一、戸外で婦人と話をしてはなりませぬ。
   ならぬことはならぬものです。

最後の「ならぬことはならぬものです」がいいですね。
さすが、白虎隊を生んだ藩だけありますね。

大人が毅然たる態度で子どもにこの言葉を発していたのでしょう。
今は大人に対してもこの言葉が必要だと思うのは私だけではないでしょう。

2009年3月28日土曜日

「用心」

読んで字の如く、心を用いる事です。
意味は、簡単に言えば注意する事。
困った事にならないように警戒する事ですね。
元々は、仏道修行の基本姿勢を表す言葉でした。
修行者は何時如何なる時でも、戒を破らないように細心の注意を払って、日々精進しなければならなかったのです。これを「用心」と言ったのです。
このブログを書きながら、日頃の自分に如何に「用心」が足りないか、改めて反省しているところであります。  (実行副委員長)

2009年3月26日木曜日

散る桜 残る桜も 散る桜

そろそろ花見シーズン。
この時期になると、江戸時代の曹洞宗の僧侶、良寛和尚の辞世の句を思い出します。

散る桜 残る桜も 散る桜

誰もに必ず訪れる死。
満開に咲き誇っている桜も、やがては散ってゆきます。
生と死の対比を桜を見て感じ取ることによって、生きているということの輝きを強く感じ取ることができるのです。


次も良寛和尚の言葉です。

 災難に逢時節(あうじせつ)には災難に逢(あう)がよく候
 死ぬ時節には死ぬがよく候
 是はこれ災難をのがるる妙法にて候


災難に遭ったら災難から逃げ出さずに受け入れなさい。死ぬ時がきたら、目をそむけずに覚悟をしなさい。それが災難や死を乗り越える最上の方法でありましょう。

現実という今をしっかりと見つめ生きる姿勢、それこそ苦痛や恐怖などを乗り越えることができるのだと言っています。

2009年3月24日火曜日

引き算の美学

いけばなは「引き算の美学」と言われています。
無駄なものを取り除いて、必要なものだけを残していきながら、余白を利用して構成していく。
今の世の中を考えてみると…
何でも求め、欲している足し算の世の中だと思います。

足し算して様々なことを得ることばかり考えてしまいがちですが、引き算していくことも忘れてはいけないのかもしれません。
悩んでいる時など、引き算もできれば心もちょっと軽くなるのではないでしょうか。

以下は、木村藍さんの傷つきやすいあなたへというエッセイの一部です。

「引き算の人生」

人生は足し算だと思っていました。
学校へ行って新しいことを勉強し、できなかったことができるようになる。
友達をつくる。知識や技術を身につける。働いてお金をもうける。
服を買う、車を買う、家を建てる。
足りないものは足していく。

知識、学歴、資格、お金、持ち物、人間関係、
なんでも多ければ多いほどいいと思っていました。
人生は足し算でした。

障害をもって、なにもできない惨めさを知りました。
仕事はおろか、起き上がることもできません。
電話に出るのも、人に会うのも苦痛になりました。

今までできたことが、できなくなりました。
やりたくてもできないこと、
どんなにしたくても、やってはいけないことも増えました。

それから人生は引き算になりました。
たくさんあることの中から、ほんとうにしなければならないことだけを残す引き算です。

大切なことと、どうでもいいこと
どうしても私がしなければならないことと、ほかの人に代わってもらってもいいこと、
時間をかけてもした方がいいことと、手を抜いてもいいこと、
少しずつ見分ける知恵がついてきました。

私にしかできない、ひとにぎりのことを、心を込めてする。
引き算の人生も悪くないと思います。

2009年3月19日木曜日

北海道・十勝 花畑牧場 生キャラメル

話題の花畑牧場の生キャラメルをいただきました。
キャラメルが見事に口の中でとろけていきました。
これはおいしい!!!
人気があるのも納得です。



2009年3月15日日曜日

自分の感受性くらい

「自分の感受性くらい」/茨木のりこ

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

政治評論家三宅久之氏が紹介していた詩です。
金八先生でも茨木のりこさんの詩が度々引用されていました。
厳しいけど力も湧いてくる詩ですね。
ちょっと背中を押してもらいたいときに読んでみるのもよいかもしれません。

2009年3月14日土曜日

波長

ある教育者の言葉。
クラスの中の子どもたち。さまざまな波長をもっている。
指導者はそれぞれの波長に合わせられるくらいの余裕がなくてはいけない。

2009年3月12日木曜日

こちらから

こちらから/坂村真民

こちらからあたまをさげる

こちらからあいさつをする

こちらから手を合わせる

こちらから詫(わ)びる

こちらから声をかける

すべてこちらからすれば

争いもなく

なごやかにゆく

こちらからおーいと呼べば

あちらからもおーいとこたえ

あかん坊が泣けば

お母さんがとんでくる

すべて自然も人間も

そうできているのだ

仏さまへも

こちらから近づいてゆこう

どんなにか喜ばれることだろう

周りが「変わる」ことばかり望むのではなく、自分から、自分を「変える」こともしていきたいものです。

2009年3月11日水曜日

一蓮托生(いちれんたくしょう)

一蓮托生。
元々は仏教の言葉。
死後、極楽の世界で同じ蓮の華の上に生まれることを言います。

死んでも一緒にいたい、死んでからも同じ蓮の上に生まれましょうという思いの言葉です。
そして、結果はどうであれ行動や運命を共にするという意味で用いられるようになりました。

蓮の華は泥の中からでも、泥色に染まらず美しい花を咲かせます。
つまり、どんなに煩悩の多い我々でも仏様と同じように清らかな心があることを表しています。
また蓮はつぼみのうちから花の中に実があります。
これは、誰の心の中にも仏様という実があるということなのです。

2009年3月5日木曜日

善哉(ぜんざい)

善哉とは、お釈迦様がよく使用していた言葉です。
お弟子さんが良い行いをしたときなどに「善哉、善哉」と言って褒めていました。

これがなぜ食べ物の名前になったのでしょうか?
ある信者さんが小豆を煮た汁に餅を入れて一休さんに食べてもらったところ、一休さんは気に入り「善哉、善哉」と言ったそうです。それがやがて呼び方になったということです。

仏教が起源となっている食べ物の名前は他にも結構あります。
納豆や沢庵、豆腐、味噌、隠元などです。