2011年1月6日木曜日

死に近づいた

門松や冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし

これは有名な一休さんの作った歌です。

門松とは正月を指します。
一里塚というのは、
昔の道は、一里毎に旅行者の目印として塚(土盛り)がありました。
それが一里塚と言われるものです。

意味としては、

正月が来て、めでたい、おめでとうと言っているが
一年経過したということは、みな冥土の世界に近づいたということだ。
それのどこがめでたいのか。

まさにその通りです。
生あるもの必ず死ぬのです。
生きているということ自体、冥土に向かって旅をしているということなのです。
そして一日一日我々は死に向かって進んでいます。
だからこそ今を大切に生きていきましょう。

2011年1月3日月曜日

小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり

新年明けましておめでとうございます。
今年も当ブログをよろしくお願いいたします。

今年初のブログは「野鴨の話」です。

以下 『Tワトソン・ジュニアの「企業よ、信念をもて」』より引用です。

『IBMで我々はしばしば、我々の行動を‘野鴨’に例えて話をする。
この教訓はデンマークの哲学者ゾレン・キェルケゴールの話からきている。

キェルケゴールは、毎年秋大きな集団を作って南方に飛び去る
野鴨を観察したジーランド海岸に住む人の話を書いている。
この人は慈悲深い人で、近くの沼に野鴨の為にエサを与えていた。

しばらくすると、鴨のうちの幾羽かは南方へ飛び去ろうとしなくなった。
この人の与えるエサを頼りにして、デンマークで越冬するようになったのである。
だんだんこの鴨達は飛ぶ事が少なくなってきた。
野鴨が帰ってくる時、この鴨達はこれを迎える為に空を旋回するのだが、
すぐに沼のエサ場に舞い戻るようになった。

三、四年の後には、この鴨達はすっかりだらしなくなり、
飛ぶ事さえ難しい程太ってしまった。キェルケゴールは言う。

一.野鴨を馴らす事はできよう。
しかし、慣らした鴨を野生に返す事はできないと。

もう一つ、馴らされた鴨はもはやどこへも飛んでいく事はできない、
ともいえよう。
ビジネスには野鴨が必要なのである。
そしてIBMでは、その野鴨を馴らそうとはけっしてしない。』

         

何気ない優しさ、小善が、鴨を死に追いやりました。
野生の力を失わないようにすることが本当のやさしさであり
一見冷たい、非情なようなことでも、大善につながっていくのです。

作家三浦綾子さんも同じようなことを言っています。

ほんとうに人を愛するということは、
その人が一人でいても
生きていけるようにしてあげることだ。


(『道ありき』三浦綾子著)

上司と部下、親子など様々な人との関係の中でこのことは言えるのでは
ないでしょうか。

大善をしていますか?
大善をしてくれる人が身近にいますか?

小善をしていませんか?
小善をされて喜んでいませんか~?