2009年9月11日金曜日

あなたの知らない死後の世界③~三途の川~

初七日が終わり、歩いて行くと三途の川にさしかかります。

三途の川には3つのルートがあります。
善人は橋を渡ることができます。
そして罪の軽い悪人はひざ下ほどの浅瀬を渡り、罪の重い悪人は深瀬を
渡らなければなりません。
深瀬は流れが速く、波も高い。岩なども流れてきたり、川底には
毒蛇がいるという最悪な場所なのです。

しかし室町時代の頃から渡し船が登場し、全員船で渡るという考え方となりました。
船で渡るためには、渡し賃が必要となりました。
渡し賃は六文です。
昔から棺の中に一文銭を六枚いれるのもこのためです。
現在では印刷してある六文銭が使われています。


三途の川のほとりには「賽の河原」があります。
ここでは、子どもたちが小石を積んで塔をつくっています。
これは、布施の精神をあらわしています。
仏の教えを聞く前に、理解する前に亡くなってしまったので
生前に布施ができなかったのです。

しかし塔を作っても鬼が現れ壊されてしまいます。子どもたちが
泣き叫んでいても容赦はありません。

なぜこんなに子どもが苦しまないといけないのでしょうか?

仏教では、あまりにも早い死によって親を悲しませたからだと考えます。
だから子どもの罪は重くなり、鬼に痛めつけられたり
さらには三途の川も渡ることができないのです。

そんな子どもを救うのが、お地蔵さん(地蔵菩薩)なんです。
そしてお地蔵さんは子どもを仏の国へ運んでくださるのです。

さて、三途の川を渡り終えると、衣領樹(えりょうじゅ)という木があり
その木の下には、おじいさんとおばあさんがいます。

おじいさんは懸衣翁(けんえおう)と、おばあさんは懸衣嫗(けんねう)
別名、奪衣婆(だつえば)と呼ばれ、死者の衣服をはぎ取るのです。

奪衣婆がはぎ取った衣服は懸衣翁に渡され、衣領樹の枝にかけられます。
枝のしなり具合で生前に犯した罪がわかるようになっているのです。
この結果をもって、十四日目に第二の裁判官のところに行くことになります。


幼くして死んで賽の河原で苦しんでいる子どもを救うお地蔵さんの歌があります
ので紹介します。

『賽の河原の地蔵和賛(じぞうわさん)』

これはこの世のことならず
死出(しで)の山路の裾野(すその)なる
賽の河原の物語
聞くにつけても哀れなり
二つや三つや四つ五つ
十にも足(た)らぬみどりごが
賽の河原に集まりて
父上(ちちうえ)恋し 母恋し
恋し恋しと泣く声は
この世の声とは事(こと)変わり
悲しさ骨身(ほねみ)を通すなり
かのみどりごの所作(しょさ)として
河原の石をとり集め
これにて回向(えこう)の塔を積む
一重(いちじゅう)積んでは父のため
二重(にじゅう)積んでは母のため
三重(さんじゅう)積んではふるさとの
兄弟我身(きょうだいわがみ)と回向(えこう)して
昼は独りで遊べども
日も入りあいのその頃は
地獄の鬼が現れて
やれ汝らは何をする
娑婆(しゃば)に残りし父母(ちちはは)は
追善座禅の勤めなく
ただ明け暮れの嘆きには
酷(むご)や哀(かな)しや不憫(ふびん)やと
親の嘆きは汝らの
苦患(くげん)を受くる種(たね)となる
我を恨(うら)むる事なかれ
くろがね棒をとりのべて
積みたる塔を押し崩(くず)す
その時能化(のうげ)の地蔵尊(じぞうそん)
ゆるぎ出(い)でさせたまいつつ
汝ら命短かくて
冥土(めいど)の旅に来(きた)るなり
娑婆と冥土はほど遠し
我を冥土の父母(ちちはは)と
思うて明け暮れたのめよと
幼き者を御衣(みころも)の
もすその内にかき入れて
哀(あわ)れみたまうぞ有難(ありがた)き
いまだ歩(あゆ)まぬみどりごを
錫杖(しゃくじょう)の柄(え)に取りつかせ
忍辱慈悲(にんにくじひ)の御肌(みはだ)へに
いだきかかえ なでさすり
哀れみたまうぞ有難き

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