2009年4月14日火曜日

東大入学式の祝辞

昨日は東京大学の入学式。
今年はノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎さんが
「人はボルトやナットのような規格品であってはつまらない。他人と違った何かを持っていることに自信・誇りをもって、お互いにそれを評価しなければいけない。また、社会での成功は学校や成績とは無関係である」と祝辞を述べていました。

昨年は建築家の安藤忠雄さんが「親離れ、子離れ」するようにとメッセージをおくり話題になっていました。

一昨年の祝辞の言葉はバリアフリーの研究者で准教授の福島智さんという人でした。
福島さんは9歳で失明、18歳で失聴した盲ろう者です。
困難を乗り越えてきた福島さんの祝辞の言葉はとても心に響く内容でした。
是非読んでみてください。全文はこちら

以下祝辞からの抜粋です。
「盲ろう者」といっても、なかなか一般的には通じませんが、あのヘレン・ケラーさんと同じ障害だと言えば、少しおわかりいただけるでしょうか。見えなくて、同時に聞こえないということは、主観的には、自分がこの地上から消えてしまって、まるで地球の夜の側の、真っ暗な宇宙空間に連れて行かれたような感覚に襲われる状態でした。何も見えず、何も聞こえない、いつまでも続く静かな夜の世界。それは言葉で表現できないような孤独と絶望の世界でした。
 私が最もつらかったのは、見えない・聞こえないということそれ自体よりも、周囲の他者とのコミュニケーションができなくなってしまったということです。私から声で話すことはできました。しかし、相手の返事が聞こえず、表情も見えない私には、会話をしようという意欲さえなくなっていきました。コミュニケーションとは、双方向的なものなのだな、とそのとき理屈抜きにつくづく実感しました。もう一つ強く実感したのは、人間には、空気や水や食べ物と同じように、コミュニケーションが生きる上で不可欠なものなのだな、ということでした。

私は「挑戦」とは、一人だけでがんばって一人だけで成果を得ることではなく、常に有形・無形の他者の手助けと共にあるものだと思います。

挑戦とは、常識的な意味での社会的な名誉やステータスを得ることだけがその目標なのではなく、自らがしっかりと生きていくこと、そして自分と他者が共に生きていくことを支えていく営み自体の中に、本当に困難な部分があり、その営みこそが最も重要な挑戦なのだと思います。

生かし生かされ人は生きているんだなと改めて感じさせられた内容でした。

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