2009年7月23日木曜日

あれもない、これもない

冷蔵庫を開ける時は、その中に入っているものを探します。

残り物でもあれば、それらを組み合わせて料理を作ることができます。

無い物をさがすために冷蔵庫は開けません。

では、冷蔵庫が子どもだったらどうでしょう。

これもない、あれもない。ちょっとしかない。

そして嘆いてしまう。

意外と無いものばかり探していませんか。

有る物を認めてあげてはいかがでしょうか。

子どもがもっている資源を活かしていくことがスタートです。

         (目白大学 黒沢幸子先生のお話しより)

2009年7月22日水曜日

あなたの知らない世界

昨夜は遅くまで仕事。

資料作りに没頭していました。

気づいてみると深夜4時。

さすがに疲れ、ソファーで少しうとうとしていました。

その時…

誰かが私の足首を引っ張ったのです。

私は誰かに起こされたと思い「起きる!」と言い、その言葉で目を覚ましました。

もちろん誰もいません。

引っ張られた感触がしばらく足にあり、少し怖くなりましたが。

とても不思議な出来事でした。

2009年7月18日土曜日

どん底の時はさらに掘れ

「人間、どん底の時はどうしたらいいのでしょうか?」という質問に
元プロ野球選手の清原が「どん底の時は・・・さらに掘れ」
とアドバイスしているCMが流れていました。

どん底と言えるうちは、まだどん底ではないのです。
どん底は、自分でなりたくてなるものではありません。
何かが原因でどん底になる。
そこをあえて自分からさらにどん底に向かっていく。
そしてもう底だとわかれば、もうそこは、底ではないのかもしれません。
意外と主体的に底に向かって掘ることのできる心構えは、もうどん底では
ないのかも。

このような逆説的な発想は、仏教にも通じるところがありますね。

2009年7月14日火曜日

“勝たない、勝てない、勝ちたくない” の 『非勝三原則』

全国亭主関白協会という団体があるのをご存じですか?
とてもおもしろいホームページだったので以下どうぞ。

<理念>
亭主が変われば、日本が変わる。
日本の未来を明るくするのは、上手に妻の尻に敷かれる心とワザを持つ亭主力である。


夫婦喧嘩はたいていの場合、「ちょっと!あなた!」から始まる。
足をもつれさせないでリビングのソファーまでたどり着くのも至難のワザだが、
愛妻の「ちょっと」は2、3分ではなく1時間と心得よ。
その際、心の中で唱えるのが<非勝三原則>である。
その深い意味を理解しなければならない。


「非勝三原則」

①勝たない

話の内容を聞けば、ひょっとしてこのケンカ勝つかも知れないという思いが沸いてくることもあるだろう。しかし、反論をすれば1時間が2時間になるだけである。だから勝たない、のだ。
 
②勝てない

仮にその問題が100%、亭主に分があるとしても、敵(じゃなかった愛妻)は、形勢不利とみれば20年も前の出来心の浮気を引き合いに出すに決まっているのである。だから、勝てない、のだ。

 
③勝ちたくない

もし、勇気を振り絞って戦い、そのケンカに勝ったとしよう。愛妻は反省するだろうか?否、しない。次の機会にそのストレスが、5倍10倍になってはね返ってくるだけであろう。だから、勝ちたくない、のだ。

以上の主旨をよく理解すれば、<非勝三原則>の深さがお分かりだろう。
日本には素晴らしい非核三原則があり、
亭主には、ちょい、情けないが、非勝三原則がある。
争わないことが、真の勇者であり、勝者なのだ。
全国の亭主たちよ、それでも戦うのか(笑)
 
全国亭主関白協会ホームページより引用

まだ他にもおもしろい原則がありますよ。
愛の三原則や家族の絆三原則などなど。

2009年7月10日金曜日

子どもたちのプチ修行

長期出張で一週間程不在でした。
もう少し早く帰れる予定でしたが、レインボーが欠航。
欠航で帰れなかったのは今年度2回目となります。
日頃の行いが悪いのでしょうか???


さて、8月に子どもたちのプチ修行を行います。
2006年からはじまり、今年4年目になります。

8月12日と19日の午前中に行います。

本堂中に子どもたちの声が響きわたり、一生懸命にお経を読む姿は
仏様のようです。8月が楽しみです。




2009年7月1日水曜日

勿体(もったい)ない

コンビニのお弁当がまだ食べられるのにもかかわらず大量に捨てられているというニュースを見ました。家畜用のエサになっているとはとは言うものの、全てではなく、「もったいない」と感じたのは私だけではないでしょう。

さて、この「もったいない」という言葉。
漢字にすると、「勿体ない」。
分解すると「勿体」+「ない」

勿体をさらに分解すると、「勿(なか)れ + 体」になります。

体とは?
仏教では、山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)と言って、
たとえば、そこにある石や花にも仏性、つまり仏の心が宿ると考えます。
だから体とは尊い仏様だと考えます。

「勿体無い」は「体を無にすること勿(な)かれ」ということ。
つまり仏様を無にすることはない。

言い換えると、全ては「勿体ない」、尊い仏様だということです。

よって本来の意味としては、物などを浪費するという意味ではなく、
全ての事物、それ自体が尊い物ということなのです。

たとえば、お米一粒、それ自体が尊いのです。

2009年6月29日月曜日

月を見ていますか?


月影の

いたらぬ里は

なけれども

眺むる人の

心にぞすむ


これは浄土宗を開いた法然上人の代表的な和歌です。

月の光はどんな所へも平等にふり注いでいます。届かない人里などありません。
しかし眺めた人だけにしかそれはわかりません。

月の光は阿弥陀様の救いを表わしており、その救いは万人を対象としています。
しかし月を見なければ、それがないのと同じことです。
見なければ存在しているということもわからないのです。

念仏を唱えれば必ず極楽浄土に生まれることができるのと同じように
月を見さえすれば、必ずその人の心にまでその光は届くのです。

2009年6月27日土曜日

考えないこと

「もう気にしていません」と言うが
本当に気にしていないのだろうか?
これは、気にしていないということを気にしていて
まだそこにとらわれている。

「とらわれ」や「こだわり」そして「かたより」から解放される
とはどういうことなのでしょう?

面白いことが書かれてあったので引用します。
世間体を気にしない、
まったくの自由人は、
それが自分のライフスタイルだと思い込むことで、
自分の体裁を気にしている。

格好をつけるのが嫌いだ、という人間は、
格好をつけないことが、格好の良いことだと思っていて、
つまり、格好をつけている。

他人に干渉するな、と求することは、
そういって、他人に干渉している。

自分が特別だと思っている、それ自体が特別ではない。

意識とは不自由なものだ。

こうして、自分のアイデンティティは、素直な思考によって不可逆的に軟弱になっていく。

最も効果的な防御とは、考えないこと。

(「詩的私的ジャック」より 森博嗣著)

2009年6月26日金曜日

帆の張り方

同じ風が吹いているのに

ある船は東へ

他の船は西へ行く

どちらに行くかは風によるのではなく

帆の張り方によるのです。

          (E.W.ウィルコックス)

自分が進む方向は帆の張り方でいかようにもなるのです。
張り方次第ではどんなところにも行けるのです。
そしていつでも張り方は変えられるのです。

ただし、風がないと進みませんが・・・
まあ、その時はしっかりと休む時かもしれません。

2009年6月22日月曜日

梅雨にはしっかりと汗をかきましょう。

いよいよ梅雨らしい天気になってきましたね。

梅雨に入ると身体がだるくなってきます。
理由としては、汗が蒸発せずに、体温調整がうまく機能しないからだそうです。
だからこそ適度に運動し汗をかき、汗のでる身体をつくらなくてはいけません。
そしてそれは、夏向きの身体になっていくのです。

梅雨は、夏を乗り切るためにも大切なのですね。