2011年3月30日水曜日

庶民のアイドル地蔵菩薩

観音様は寺まで拝みに行かなければ人々を救ってくれません。
でも世の中にはもっと親切な菩薩がいます。
それが、地蔵菩薩です。



皆さんの身の周りでもよく目にするお地蔵さまも菩薩なのです。
人々を助けるため自ら出向き救いの手を差し伸べ、だめな人ほど救ってくれるといわれています。その結果至る所で見うけられる仏様なのですが、なぜ親しみのある愛らしい顔をしているのでしょうか?

地蔵菩薩は地獄に落ちた人までも救ってくれるといわれています。
親より先に亡くなった子供は賽の河原(三途の河原)で親不孝の責め苦を受けるのですが、地蔵菩薩が地獄の鬼から子供たちを救ってくれるのです。
そこで賽の河原から連想される石で作られ、顔も子供たちそっくりの丸い形で作られるようになったといいます。

上流階級がきらびやかな観音様に傾倒していくなか、お地蔵様はその身近さから庶民たちのアイドルとなっていきます。

地蔵菩薩というのは、庶民のささいな願い事をきいてくれたり、身代わりになってくれるという信仰が強いのです。そして民衆の助かりたい、あやかりたいという願いはやがて、身代わり地蔵、とげぬき地蔵、子育て地蔵、そうめん地蔵、縛られ地蔵、化粧地蔵など全国様々なバリエーションを生んでいくことになりました。


次回は仏像界ナンバー3の明王グループについて説明します。

参考:1/3放送 日テレ「たけしの教科書に載らない日本人の謎!仏教と怨霊と天皇…なぜホトケ様を拝むのか」

2011年3月26日土曜日

仏像界の中間管理職 <菩薩グループ>

仏像の世界はおおきく4つのグループに分かれています。
仏像界は如来を頂点に菩薩、明王、天の順番で構成されており
企業の中の役職のようにとても明確な上下関係が存在しています。
そしてそのグループ内でもさらに細かな役割が決められています。

前回は如来グループについて説明しました。
今回は庶民から圧倒的支持を受ける菩薩グループです。

弥勒(みろく)菩薩やおなじみの観音様(観世音菩薩)、お地蔵様も地蔵菩薩です。
企業の中の役職に例えると中間管理職にあたります。

つまり、如来が悟りを開いているのに対し菩薩は悟りを目指し修行中の身、上を目指して修行をしながら苦しむ人々を救う仏とされています。

菩薩とは修行僧という意味のサンスクリット語(古代インド語)ボーディ・サットヴァがもとになっています。

ちなみに釈迦の次に悟りを開くとされているのが弥勒(みろく)菩薩と言われています。しかし悟りを開くのは、宇宙の終わりといわれる56億7千万年後とされています。

如来は学者などのような難しい語り口で教えてくれますが、それを理解しがたい人も多いのです。一方で菩薩は同じことを説いてくれても、もっと優しく説いてくれるのです。だから菩薩のほうが庶民にとってはより身近な存在でした。

そしてすべての人々を救うには如来だけでは手が足りないということで菩薩は如来の脇に立ち如来とユニットで作られることが多かったのです。

釈迦如来の脇には文殊(もんじゅ)菩薩普賢(ふげん)菩薩
文殊菩薩は知恵をつかさどり、普賢菩薩は修行をつかさどる

三人寄れば文殊の知恵はこの文殊菩薩からきています

菩薩は立っていたり、動物に乗っていたり、腰をひねったり、片足を前に踏み出していたりしていますが、これは少しでも早く人々を救えるように動きを表しています。

その他にも菩薩は美しい布をまとい、王冠やピアス、首飾りなどのアクセサリーを身につけた姿でつくられ、これは釈迦の出家前の王族時代の姿をあらわしています。
我々俗人にきわめて近いということをあらわしており、より身近な存在として非常に人気がでてきました。特に鎌倉時代以降、庶民信仰の中で人気が出ました。
悟りを開いている如来よりも身近な存在として、そのきらびやかな外見もあいまって菩薩は上司の如来を凌ぐ人気を持つようになりました。

それを象徴するのが観世音(かんぜおん)菩薩です。
観音菩薩は非常に優しい顔でつくられていて、菩薩の中でも超人気者となりました。

観音菩薩はもともと女性でも男性でもないのですが、優しいイメージで近づくものを広く暖かく受け入れてくれる為、いつしか仏像の姿も女性のイメージになり、爆発的人気になっていきました。

あまりの人気に、如来を差し置いて単独で活動するようになり、さらに人々の欲望のままに変身をとげるようになっていきました。

二本の手だけでは人々を救いきれないだろうと、救いの手を増やした結果が
あの千手観音です。

世界中をもっと見渡してもらおうと、顔を11に増やした十一面観音まで存在します。
京都三十三間堂の場合は、千対の観音像で千の手を表現しています。これならどんな人でも救えてしまいます。
さらに、大船観音、高崎観音のように、手が増え、顔が増えるだけでなく、巨大化までして色々な人を救うのが観音様なのです。


(大船観音写真)


しかし観音様は寺まで拝みに行かなければ人々を救ってくれません。
でも世の中にはもっと親切な菩薩がいます。
それが地蔵菩薩です。

次回は地蔵菩薩について説明します。


参考:1/3放送 日テレ「たけしの教科書に載らない日本人の謎!仏教と怨霊と天皇…なぜホトケ様を拝むのか」

2011年3月18日金曜日

仏像の世界<如来グループ>  

お寺には仏様が仏像という形で祀られています。
しかし仏像といってもその種類は豊富です。
東大寺の大仏、阿弥陀如来、金剛力士像、不動明王などは
耳にしたことがあるのではないでしょうか。
立っている仏像もあれば、笑っていたり、怒っていたりする仏像もあります。
日本には世界一と言われるほど、多種多様な仏像があるのです。

では仏像の世界を説明していきます。

仏像界は以下の通り大きく4つのグループに分かれています。

<如来グループ>・・・仏像界の頂点
<菩薩グループ>・・・ナンバー2
<明王グループ>・・・ナンバー3
<天グループ>・・・ナンバー4



<如来グループ>
最も位の高い仏像のことで、会社で言うと、社長、会長、名誉会長のようなものです。

如来とは真理に目覚め悟りを開いたもののことで
如来以外の仏像は、すべて悟りを開いていない修行中の身なのです。

世界最初の仏像は一世紀に作られた釈迦如来という如来の一種。
最初の仏像ができたのは、お釈迦様がなくなってから500年後にはじめてできました。
それまでは仏像は存在しませんでした。しかし仏教の布教には仏像は必要でした。
お釈迦様の姿を拝みたいという信者たちのラブコールに応えてついに釈迦は仏像となり釈迦如来となりました。
歴史がくだってくると同時に仏教を信じる人の裾野が広がり、そして庶民のニーズに応える形でさまざまな仏像ができるようになっていきました。

如来グループの仏像として、有名なのが奈良の大仏です。
これは毘盧遮那(びるしゃな)如来↓を仏像にしたものです。

他には阿弥陀如来があります。
極楽浄土の案内人で「南無阿弥陀仏」と唱えれば成仏できるという手軽さが受け、日本の寺院で最も多く祀られています。
鎌倉の大仏↓は阿弥陀如来です。


奈良時代の人気ナンバーワンの仏像が薬師如来です。
医薬を司る仏様で、医王という別名もあり、我々の病気を治し、安楽を与える仏様です。健康の象徴として顔がふっくらとしています。

その他、太陽を神格化した大日如来もあり、経典に記されたさまざまな如来は仏像となっていきました。

仏像界の頂点に立つグループ
 釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来、毘盧遮那(びるしゃな)如来


次回は<菩薩グループ>について説明します。


参考:1/3放送 日テレ「たけしの教科書に載らない日本人の謎!仏教と怨霊と天皇…なぜホトケ様を拝むのか」

2011年3月13日日曜日

謹んで震災のお見舞い申し上げます。

この度の東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた皆様に

謹んでお見舞い申し上げます。

皆様の安全と被災地の一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

2011年3月3日木曜日

冬きたりなば春遠からじ

3月に入りそろそろ春らしい天気を期待していたのに
また冬に逆もどり。外はうっすら雪化粧です。

「冬きたりなば春遠からじ」

一日一日のつみかさねが春を呼ぶのかもしれません。


以下、坂村真民さんの詩です。

つみかさね

一球一球のつみかさね
一打一打のつみかさね
一歩一歩のつみかさね
一座一座のつみかさね
一作一作のつみかさね
一念一念のつみかさね

つみかさねの上に
咲く花
つみかさねの果てに
熟する実

それは美しく尊く
真の光を放つ


ほころびないもの

わたしのなかには
生き続けている
一本の木

わたしのなかに
咲き続けている
一輪の花

わたしのなかに
燃え続けている
一筋の火

ものみなほろびゆくもののなかで
ほころびないものを求めてゆこう
人それぞれになにかがある筈だ

2011年3月1日火曜日

3月のことば

自然に生きてるってわかるなんて

なんて不自然なんだろう

(「イメージの唄」作詞作曲 吉田拓郎)