2011年12月31日土曜日

よいお年を


今年はプチ修行だけでなく、瞑想も回数が増え参加者と有意義な時間を

過ごすことができました。

今年もブログをご覧くださりありがとうございました。

左にある読者登録、気づけば10名にもなっていました。

来年が皆様にとってよい年になりますように。

合掌

2011年12月21日水曜日

代受苦者

仏教では戦争や自然災害での犠牲者のことを「代受苦者」と呼び

自分の代わりになってそれらを受けてくださった人、という意味です。


瀬戸内寂聴さんは、東北の震災で亡くなった人は、我々の代わりに苦しみを

受けた「代受苦者」であり、だからこそ、感謝をこめて亡くなった方々を供養

しなければいけない、自分の命を大切にしなければいけないと説法していました。

被災された方々も同様で、我々の代わりに苦しみを受けられている

「代受苦者」なのです。だから、決して他人事ではすまされないことになるのです。


因みにお地蔵様は、「代受苦の仏様」と言われており、暖かい眼差しで我々の

苦しみを引き受けて下さる仏様です。

2011年12月18日日曜日

瞑想カフェ

先日の土曜日にお寺にて瞑想を行いました。

5名の参加者が朝早くお寺にあつまり、瞑想を行いリラックスしたところで

お茶とおしゃべりもしながらの楽しい時間を過ごすことができました。

瞑想カフェという名前で定期的に行ってみては、との声もあがったので

今後継続していければと思っています。

参加者の皆さんありがとうございました。

2011年11月9日水曜日

ザクロを持っている仏像

お寺の庭のザクロが大きな口を開け食べごろとなってきました。

仏教ではザクロのことを吉祥果(きちじょうか)と呼びます。
ザクロは一つの実の中にたくさんの小さな実があり、その一つ一つがそれぞれ小さな種を持っていることから、子孫繁栄をあらわす縁起のよい果物とされているのです。


なんとそのザクロを右手に持ち、左手には赤ちゃんを抱いている仏像があります。
それは鬼子母神(きしもじん)です。↓




鬼子母神とは、その昔多くの子供を持ち、他人の子供をさらって食べる鬼神で人々から恐れ憎まれていました。人々から相談を受けたお釈迦様は、彼女が一番愛していた末子を隠すことにしました。

彼女は探し回り苦しみました。そして彼女は子供を失った母親の苦しみを悟り、仏教に帰依しました。
以後、子供や安産をつかさどる神になったのです。
そして、右手にザクロを持つことで子育ての神として子孫繁栄の願いが込められているのです。

ザクロは人の肉の味がすると昔からわ言われています。
鬼子母神は子供の味が恋しくて右手にザクロをもっているとも言われていますが・・・
それは違うでしょう。

2011年11月8日火曜日

前後際断

これは禅の言葉です。

仏教では時間は連続しておらず、フィルムのように一コマ一コマ断続したものである
と考えます。
たとえば、我々は冬から春になると考えますが、そうではなく冬は冬であり、春は春であると考えます。
薪が燃えて灰になると思ってますが、薪は薪であり、灰は灰であって、連続しているのではないということです。
人生も同じで「今、この瞬間」でしかありません。
過去は過ぎ去ってしまったものであり、未来はまだ来ていません。
今この瞬間を精一杯生ききることが大切なのです。

2011年9月21日水曜日

みんなを好きになれる人

可愛い赤ん坊を授かった両親。

どうかこの子が「誰からも好かれる子どもになりますように」とお願いをしました。

その通りになったものの子どもは我がままになりました。

はっと気づいた夫婦は

今度はどうかこの子が「みんなを好きになれる子どもになりますように」とお願いをしました。

そうすると、誰でも好きになれる素晴しい人になりました。





みんなを好きになるよりも、みんなから好かれたいと思ってしまうかもしれません。

その方が楽ですから。

「好きになること」、これは簡単なようでなかなか難しいことですね。

2011年9月19日月曜日

お彼岸です。

7月、8月はプチ修行に施餓鬼法要、お盆参りとお寺にとっては一番忙しい月でした。

もう9月も半ば。今日は半袖では寒い一日となりました。

一雨ごとに秋に近づいてきているかもしれません。

さて、明日から一週間はお彼岸です。

「おはぎ」を食べるのもよいですが、

お墓参りして、先祖を敬い、故人を偲ぶこともお忘れなく。






彼岸花 京都風景写真館より

2011年6月29日水曜日

「しあわせ」と「幸福」の違い

幸福という言葉は明治時代に英語のhappinessの訳語としてできたもの。
西洋の幸福については、個人の幸福が社会全体の幸福につながり、社会全体の幸福が個人につながるという個を中心とした思想で、また幸福を数値化してもいる。

日本ではどうなのか?
芥川賞作家で僧侶でもある玄侑宗久氏は『しあわせる力』(角川SSC新書)の中で次のようなことを述べていた。

「しあわせ」という言葉は奈良時代からあり、もともとは「為合わせ」と書き、室町時代になり「仕合わせ」に変わっていった。

剣道も昔は剣道の試合とは書かずに「仕合」と書いていたとか。

「仕合わせる」だから、意味としては人との関係・つながりを意味しており、「しあわせ」はその中にあると考えていた。
個中心ではなく相手がいるということが西洋の考え方と大きく違う。
相手とうまく「仕合わせる」ことが「しあわせ」につながっていく。

また幸福の「幸」という字は「さいわい」と読むが、「さきわう」という意味もあり、これは賑やかにいろいろな花が咲いている状態のことで、一人では無理。一本では咲き賑わえない。つまりこれも人間関係で、お互いに相手を思いやって咲きあって生きていくことだと。


便利になって「しあわせ」と感じているようでは、それは西洋の幸福であり、本当の意味での「しあわせ」ではない。

原発に大震災、危機的状況にある日本。
いまこそ、真の「しあわせ」を忘れてはいけないと思う。

2011年6月1日水曜日

6月のことば

道は近きにあり

迷える人は

それを遠きに求む

(清沢満之)

2011年5月22日日曜日

牛といっしょに散骨供養

19日(木)に散骨供養を行いました。

慰霊所から眺めるカズラ島(散骨する場所)

とてもよい眺めだなと思いながら供養を始めました。

お経がはじまってからしばらくすると、遠くにいた牛が

列をなして「モウ~」と泣きながら私の前を何頭も横切っていきました。

ちゃんと仕切られているので襲われることはありませんが・・・。

牛もいっしょに供養してくれたのかもしれませんね。