幸福という言葉は明治時代に英語のhappinessの訳語としてできたもの。
西洋の幸福については、個人の幸福が社会全体の幸福につながり、社会全体の幸福が個人につながるという個を中心とした思想で、また幸福を数値化してもいる。
日本ではどうなのか?
芥川賞作家で僧侶でもある玄侑宗久氏は『しあわせる力』(角川SSC新書)の中で次のようなことを述べていた。
「しあわせ」という言葉は奈良時代からあり、もともとは「為合わせ」と書き、室町時代になり「仕合わせ」に変わっていった。
剣道も昔は剣道の試合とは書かずに「仕合」と書いていたとか。
「仕合わせる」だから、意味としては人との関係・つながりを意味しており、「しあわせ」はその中にあると考えていた。
個中心ではなく相手がいるということが西洋の考え方と大きく違う。
相手とうまく「仕合わせる」ことが「しあわせ」につながっていく。
また幸福の「幸」という字は「さいわい」と読むが、「さきわう」という意味もあり、これは賑やかにいろいろな花が咲いている状態のことで、一人では無理。一本では咲き賑わえない。つまりこれも人間関係で、お互いに相手を思いやって咲きあって生きていくことだと。
便利になって「しあわせ」と感じているようでは、それは西洋の幸福であり、本当の意味での「しあわせ」ではない。
原発に大震災、危機的状況にある日本。
いまこそ、真の「しあわせ」を忘れてはいけないと思う。